新聞広告で、吉行あぐり(99歳)が、亡き娘にささげる、という謳い文句で『青い部屋』という本が出ていた。本には「猫と共に生きた吉行理恵」として猫を抱く理恵の写真が大きく出ているのだが、その猫がどうにも不機嫌だ。
飼い主がいくら可愛がっていても猫は抱っこされても嬉しそうな顔はしていない。嬉しくないわけではないのだろうし、嬉しい顔ができないというのもあろう。でも、なんだか迷惑そうで、猫はともかく、猫が好きな人というのは、本人は幸せなんだろうが、はたから見るとどうも不憫というか、好ましい感じを受けない。
かくいう私も昔は猫好きというほどではなくても、猫に親しみを覚えていた。
一方、犬は好きじゃないという以前に、怖かった。
ところが犬を飼うようになってから、飼い主と共にいる犬のあからさまに嬉しそうな姿を見ていると、犬に親しみを覚えるようになった。
たった一泊の旅行で人に預けただけでも、迎えに行くと実に嬉しそうにダッシュで寄ってきて、まさに「破顔一笑」という表情を見せる。
猫と遊んでいる姿を目の当たりにしようものなら、くぅんと切ない声を出し、どこかに行ってしまったので、腹でもたてたのかと思えば、ボールをくわえてきて遊んでくれと訴える。
こういうところが犬はかわいい。
また、猫は腹が空けばうるさいほど鳴いて人の迷惑も顧みず寄ってくるが、その他の時は勝手気まま。
犬は腹が減ってもこちらがエサを出すまでは黙ってじっと待ち続けている。何時間も待つ。それで夜中までやるのを忘れたこともあるが、文句を言うわけでもない。
これではどこにも旅行に行けない。旅行に行く暇も今年はなくなりそうとはいえ。
猫好きも不憫なものだが、犬好きとまでいかない私も、犬に親しんでしまったからには、それはそれではたから見れば不憫なものだろう。
まして私は犬も猫も飼っていて、そのどちらにも親しみを覚えているのだから、不憫の二乗だ。犬や猫を飼ってるなんて優雅に見えて、その実、心を許せる人の仲間が少なそうで、ただでさえ寂しい感じがするのに、そのうえそいつらを大事に可愛がっているなんて、「猫と共に生きた」なんて、私は不幸でしたと言っているような感がある。でも、あの周囲に人だらけの米原万里もたくさんの猫と暮らしていたけれど、そんな言い方はされないから、人によるのだろう。
ペットという限界の中でも、なるべく犬は犬らしく猫は猫らしく暮らせるように、そいつらをちやほやしない暮らしを、私は心がけてはいるが、はたから見れば私なども不憫な犬猫人のひとりではあろう。夫や子供がいたって、きっしゅさんじゃないが、かえって「複数の中の孤独」というのもある。老人の自殺率は、ひとり暮らしより家族と暮らしているケースのほうが圧倒的に高いと聞いたこともあるし。
そう考えると、「犬猫と共に生きて」とまで断言されるのも、そこまでいけば、それはそれでまた、哀れにゆかしいではないか。不幸と思われようがいい。幸不幸は自分で決めるものだ。たとえじっさい不幸だっていい。そうだ余計なお世話だったのだ。(ぴっかりO)