猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

走る少女

maonima2007-08-02

 『源氏物語』の資料の整理をしていたら、昔、切り抜いておいた『群像』の1997年二月号での瀬戸内寂聴橋本治の対談が出て来た。タイトルは「源氏物語 新しい魅力」。
ここでこんな会話が冒頭のほうに出てくる。


瀬戸内 橋本さんにお目にかかるから、『源氏供養』は全部読み直してきたんですよ。そうしたら、そうか、そうかという問題がいろいろ出たんですけれども、一番おもしろいのは、紫の上が非常に少年ぽいというの。走る少女というのはとてもいい。あれは橋本さんの発見ね。
橋本 僕は、昔からそういわれていたんじゃないかと勝手に思い込んでいました。
瀬戸内 だれもいっていない。泣くところとか、そういうのはあるけれども、走ってくる。そこをとらえたのは橋本さんだと思う。


って。これ、読んで「おや?」と思いましたよ。だって私は「走る少女」としての紫の上のことを『源氏物語 愛の渇き』に書いているから。紫の上に関しては三章に分けて「もう一人の末摘花」として、まず一章目の冒頭に、こう書いた。
「紫の上の“登場感”は『源氏』でも他に類例がないほど、鮮烈だ。〜中略〜少女は、あまたの子供達とは似るべくもない、傑出した美しさを、いやが飢えにも印象付けるかのように、走ってきたうえ、顔には泣いた跡があった」
「この前代未聞の、異常なまでの登場感で、光源氏ばかりか読者の心の中にも強く、その存在が刻まれる少女こそ! 光源氏の障害の妻となる紫の上なのである」
 それで一章目では「身代わりという発想」と「犯される仏」との関係を、二章目では悩まない女〜悩みを発見する女へなった紫の上のことを書いて、三章目ではロボットのように感情を出さない紫の上について説明したあと、こう締めくくった。
「けれど彼女は、初めからロボットだったわけではない。
 初めてこの物語に現れた時、彼女は、走ってきたうえ、泣いていた。
 しかも、その時の彼女の涙は、後年、夫の女関係のために流した涙とはまるで違う。捕らえた雀の子を逃がされて、悔しくて泣いていたのである。
『女の子は、しとやかに』とか、『生き物には優しく』という、ステレオタイプの“しつけ”をあざ笑うような、この大胆な登場感が感動的なのは、男の都合も大人の都合もお構いなしの、彼女の“生成りの個性”がほとぼしっているからだ。
 そして、この天真爛漫な個性が冒頭にあるからこそ、源氏の思い通りの女に成長していく紫の上の“変貌”がいっそう切ないものとして読者の心に迫るのである。
 彼女の一生で、一番自由に輝いていたのは、「泣きながら走り出てきた」という、あの鮮烈な登場感で語られる、少女の頃ではなかったか。
 そう思った時、紫の上の一生は、いっそう悲しいものとして、私の目には映るのだ」


 とまぁ、少年ぽさにはさすがに気づかなかったが、「走る少女」としての紫の上には私も注目して、本にも書いていた。
 が、橋本治が「走る少女」を書いた『源氏供養』(書き下ろし)が出たのは1994年一月。
 私の『源氏物語 愛の渇き』が出たのは1994年二月五日。出たのは橋本氏の本のほうが先。
 ただ私の本は自分の書いたあとがきが「1993年十一月」とあるから、ほぼ同時に同じようなことを考えついて書いたことになる。
 でも、出たのは橋本氏の本のほうがたしかに先だ。日にちは本が手元にないからわからないが、たぶん一月十日か二十日のはず。どっちにしても私のこの本は出版後、五年後くらいに、光文社から文庫化の話もきたのだが、版元のKKベストセラーズでは五年間は文庫にしない約束だったこともあって、
「その代わり、『いつの日か別の日か』を文庫にしてほしい」
と言ったら、「それはダメ」ということになって立ち消えになった。そのうち本体のほうも絶版になって今では入手できなくなってしまった。橋本氏の本のほうは今も中公文庫で手に入る。
 今読み返しても、我ながら新しい発見のあるいい本だと思うだけに、なんか、ちょっと悔しい。


★★ これ書いた14年前は、子供もいなかったし、仕事も今よりずっと暇で、朝から晩まで古典ばっかり読んでは、系図や図表やファイルをがんがん作成していた時期だっけな。