猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

サイデンステッカー

が、26日、死んだ。英訳はアーサー・ウエイリーのほうが先だけど。
二人の「桐壺」訳の冒頭の違い。

アーサー・ウエイリー(1933)
At the Court of Emperor(he lived it matters not when)here was among the many gentlewomen of the Wardrobe and Chamber one, who though she was not of very high rank was far beyond all the rest;

サイデンステッカー(1976)
In a certain reign there was a lady not of the first rank whom Emperor loved more than any of the others.


原文はおんなじなのに、こうも違うのね。長さも違ってしまう。なんか意味も違ってる感じ。訳って難しいね。子供がアガサにはまってるけど、アガサも原文で読んだら、ずいぶん違うんだろうな。うちの子、英語は理数と並ぶ得意科目だから(国語はからきし)、原文で読んでもらって、違いを教えてもらおう。
『源氏』の原文はもちろん、これ。
いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
サイデンステッカーは『源氏物語』の訳に15年かかったとか。
馴れぬ英語は書き写すだけで疲れる。でもここを見ている人は海外に長くいる人が多いから、むしろ英語のほうがよみやすかったりするのかな。昔の日本人でも、『源氏物語』の原文より英訳のほうがよみすやいって人、多かったらしいし。

私は日本人なんだもの。ずっと古典をよんできたんだもの。母は外人みたいなもんだけど。頑張らなきゃって気になってくる。本当に自分との闘いなんだ。