猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

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三谷さん&アサッテの人

maonima2007-09-09

★ 物語研究会という会に十年ほど前、入った。初めて行って自己紹介したら、皆が私を知っていて驚いた。その後の飲み会で「『源氏物語』がなぜ好きかというと」などと話していると、その場にいた三谷邦明さんが、
「うそつけー。嫌いって書いてたじゃないか」
と言った。『源氏の男はみんなサイテー』のまえがきかどこかでそう書いていたのを読んでいたのだ。そう知って、嬉しかった覚えがある。
 




「僕は君を知っている」
 劣等感に悩まされていた当時の私にとって、思えばこれ以上の励ましはなかったのだ。






★★その三谷邦明氏が九月三日なくなって、昨日、通夜に行ってきた。奥様の三田村雅子さんのお話によると、今年の二月頃、まず、
「歯が痛い、歯が痛い」
と言い出して、それがどうやっても治らず、あまりにおかしいと診てもらったら喉頭ガンだった。放射線治療を受けていたが、免疫力が低下して、肺炎になって、それで亡くなったのだという。六十六だった。
 折しも八月二十九日、三谷氏の父栄一氏が九十六で永眠し、九月三日に葬儀を行っている最中の死で、毎日のように看病していた三田村さんは、それで死に目に会えなかったことだけが残念だと、そのくだりになって涙ぐんでいた。栄一・邦明父子はものすごく仲がよくて、三田村さんと結婚後もいつも一緒だったので、三田村さんは「お父さんと別れてください」と言ったほどだったという。
 可笑しかったのは、今は最期という時になって、医師に「何か心配なことはありますか」と三谷氏が訊かれた時のこと。医師としては「財産や家庭のことで心配なことは?」と聞いたつもりだったのだが、三谷氏は一言、
「文学の将来」
と言ったという。三田村さんによる三谷邦明伝説かもしれないが、いかにもで会場からは笑い声とともに次いですすり泣きが聞こえた。
 

★★★ 行き帰りに読もうと、文藝春秋の「アサッテの人」の部分だけぶち切って(文藝春秋は厚いから持ち歩くのに不自由なので)読んだが、のっけからつまらなくて4ページはなんとか耐えて読んだが、飛ばし読んでも面白い発見というのもなく投げ出してしまった。受賞者はもちろん、この作を推した選者は『源氏物語』、全文読んだこともないんだろうね。いくら純文学でももう少し何か得るところというか、興奮させてくれるところがないと。それとも、選者はみんな作家だから、優秀なライバルが現れるのが嫌さにわざとつまらないのを選んでいるのか。そんな邪推さえしてしまった。私としては自分の持病上、芥川賞候補作の「わたくし率イン歯ー〜」のほうが気になった。
(そういえば選考委員がみんな作家っていうのもはたから見るとヘンテコな感じ。賞ってそういうものなのかもしれないけれど、もっとほかの分野の人も混ぜたらどうなんだろう。政治の世界だって民間人とか混ぜてるじゃない。本屋大賞とかあるにはあるけど、なんか作家だけで選ぶのって、いびつな気がする)。
 しかし、プロの目というのが侮れないことは、アイドルのコンテストなどで素人目には「なんでこんなのが〜?」と思ったのが、数ヶ月後には大化けしてたりするところで、こういうアイドル発掘のプロのように、もしや私のような者には分からぬ「化けの芽」を感じて選んでいるのかも。だとしたら凄い。でも現に活躍する芥川賞作家の書いたものでも、面白いと思ったことは私はあんましないんだよなぁ。いつも面白い古典ばっかり読んでいるせいかな。
 
 三谷さんはもしや真面目だからこういう芥川賞系をよく読んでて(でもそっか、私の本まで読んでいたくらいだから、そうでもないかも。マンガも好きって言ってたし)、「文学の将来」を案じたのだろうか。まぁ芥川賞ばっかしが文学じゃないし、面白い本は直木賞やエッセイや評論や学術書にもあるんだし、むしろマンガだって映像だってブログだってあるんだから。でも「アサッテの人」などを読むと、平安時代以後の文学低迷時代みたいになっていっているのかなとも思ってしまうよ。
 だけど選ばれた諏訪さんには罪はない。諏訪さんにはすごーく面白い次作を期待するのが筋だろう。そうしたら選者も「さすが発掘のプロ」ってことになるよね。なんてろくに現代小説も読んでない私が、たまたまその一端をかいま見たというだけで、生意気なことを書いてしまいました。ワンワン。