猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

佐藤雅彦さんのこと1

 佐藤雅彦さんに会ったのは二十年前。
「とっぱちからくさやんつきラーメン」という妙なネーミングのラーメンのCMがテレビに流れて、「これは!?」と思って取材することにしたら、製作者として佐藤さんが出てきた。
 当時、佐藤さんは電通の、SP局(セールスプロモーション局)から第一クリエーティブ局に移ったばかりで、このCMは佐藤さんの作ったCM第一作目か第二作目だった。当時佐藤さんは33歳だった。
 その後の活躍は書くまでもないが、佐藤さんによると、
ティファニーで朝食を」を見て突如イメージが百くらい湧いて、メモするスピードが追いつかなくなって、「CMを作りたい」と思ったという。
 また、SP局時代、クリエーティブ局の人に、
「広告は作品ではない。商品を売るための手段であって、広告自体、商品だ」などと言ったら、
「言うのは簡単だよ。じゃあお前、つくってみろよ」と言われたので、社内の試験を受けてクリエーティブ局に移ったのだという。


 佐藤さんの言葉で印象的なのは、
「広告は商品だから、僕は“納品”っていう」
「僕は本をほとんど読まない。必要を感じたら、それについてだけ深く調べて読む」
「イメージで読み書きする」
などなどだ。
 だんご三兄弟の時はあまりに取材が殺到して、
「取材は一切受けないことにした」
と言っていた。今はそんなこともないかもしれない。 
 当時は「仕事は一切、断らない」と言ってとにかくがむしゃらに仕事をしていた。睡眠時間一日三時間とか、五十時間寝ないなどということもあった。目覚まし時計を五個、枕元に置いて起きていると言っていた。
 東大のアイスホッケー部にいて、「体力には自信がある」と言っていた。高校は大野晋と同じ高校だったとも。
 出身大学が東大と聞いて「芸大だと思った」と言ったら、「それは嬉しいな」と言っていたが、今はその芸大に、絵画、音楽とは別に新たに作られた映像の科の教授をしている。



 佐藤さんには、最初の本(いつの日か別の日か……みつばちの孤独)と、二冊目の本(愛は引き目かぎ鼻……平静の平安化)の装丁をしていただくなど、お世話になった。