阿比留先生は国語の先生だった。
対馬の宗氏の前に、対馬を治めていた一族の直系の末裔と称していただけあって、色白のとても品のいい、いかにも殿様然とした先生だった。この先生はなぜかZ会の国語の添削のアルバイトもしていて、私は当時、「重太郎」というハンドルネームで登録し、国語の上位者の常連だった。実名でランキングに載るのは嫌という人が多数いて、そういう人の気持ちを汲んでか、こうしたハンドルネームをZ会では当時からつけさせる習慣があった。私は白土三平の漫画にそんな名が出てきたか、自分の書いた漫画の主人公にそんな名をつけたかして、重太郎だった。
ある日、阿比留先生に、
「重太郎」
と呼び止められて、
「はい」
と返事をすると、
「ふふ。重太郎の答案、添削したことありますよ。凄いですねいつも」
と褒められた。
同じ学校には、乙幡(おっぱだ)先生という家庭科の先生もいた。この先生はもと旗本の家柄で、しかも美人。10/30の日記に出てきた地理の先生と結婚した。
あと、強烈だったのは額田先生(仮名)という漢文の先生の思い出である。私はこの先生のご自宅にお邪魔して鑑定書つきの本物の日本刀を見せてもらったことがある。それだけではない。色んなおかしなものをその家で見てしまったのである。
http://www.web-nihongo.com/column/yakusenai/index.html(WEB日本語11/1更新)
この更新分はちょっと辛かった。来月12/1更新のはもう書いたが、も少しまし。