猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

10071107ぴかりん疑問2なぜ怪談話は夏にするの?

maonima2007-11-07

 怪談噺の祖は初代林家正蔵(1780〜1842)といわれる。文化年間(1804〜18)、怪談噺を創始したんだって。でも私が言ってるのは、そういう意味の怪談噺じゃなくて、「怪談話」を、皆で集まって夏にするようになったのはいつごろなんだろう、ということだ。
 ぱっと思いつくのは、お盆との関係。お盆には祖霊が帰ってくるということで、先祖の霊なら怖くもないはずだが、霊ということで、しぜん、その手の話に花が咲くようになったのではないかというのは容易に想像がつく。あと、
柳田国男がはやく指摘したように(『妖怪談義』その他)、わが国で幽霊話を中心として行われる怪談の多くは、はやく中世以来の僧徒・寺院の唱導にうながされたものであって、鈴木正三やその門人たちの唱導もまた、その例外ではなかったとしなければならない」(『江戸怪談集』中 解説)
というから、そういう習慣が、近世になってだんだん薄らぐなか、やっぱりお盆だけはお寺に足を運ぶことになって、その時期、怪談話をするようになったのかも。
 寛文六年(1666)開板の『伽婢子』の「牡丹灯籠」でも主人公はお盆の頃に亡霊と契っているから、やはり夏の怪談話はお盆と関係があるのだろう。ただ同じ『伽婢子』末尾では、人が集まって怪談話を陰暦十二月の風の激しい雪の降る日にやっているから、怪談話は夏につきものという観念はまだなかったものと思われる。
 その他の怪談話を見ても、江戸時代の設定は夏だけでなく、「霜月」やら「神無月」やら色々。要するに、雪に閉ざされた冬や、雨で外出できない折などの所在ない時に、よもやま話のついでに怪談話もしていたのだろう。
 
 夏といえば、五月雨の夜に皆で集まって話をしたり、肝試しをするという例は、平安文学にも見える。
 『源氏物語』では五月雨の夜、男たちが女談義をする名高い「雨夜の品定め」が描かれているし、『大鏡』には、花山院の御時、五月下旬の闇夜、五月雨と言うにはていどの激しい雨の降る夜、ミカドが退屈しのぎに、道長たちに肝試しを提案するというくだりがある。
 五月といえばもう夏だから、夏に肝試しやら、怪談とまではいかない世間話を集まってする習慣というのはこの頃からあったのだろうか。
 寝ずに起きてなきゃいけない庚申の夜にもこうした話が語られたことだろう。
 でも五月雨の夜にしても庚申の夜にしても、話の中身は怪談とは限らなかったろう。
 怪談話が流行したのは近世初期だが、それだって冬にもしていたわけで、夏とは限らなかった。
 なぜ「夏に」「怪談話」?
 年末おなじみの忠臣蔵に想を借りた『東海道四谷怪談』も1825年七月に上演されたんだよね。七月っていえば暦の上では当時、秋とはいえ、夏っちゃ夏だ。
 近世あたりの古典をじっくり当たればそれも分かってくるのだろう。国会図書館で検索しても出ては来なかったけれど、私はそういう検索が苦手だから(Macだと文字化けして調べられないのもいっぱいあるし)、もっと念入りに調べれば、すでに論文などが出ていることが分かったりするのかもしれない。『源氏』訳が一段落したら、興味の赴くままに調べてみたいものだ。



そういえば雪女の話なども冬ですものね。囲炉裏を囲んで怪談話ってのも、暖房の効いた部屋でアイスクリーム食べるみたいで楽しそうだと思いませんか?(大塚ひかり)