今日の毎日新聞に私が書いてる。『源氏物語』の現代性ってテーマを頂いたので。
しかし『源氏物語』ほど現代性を語っているうち空しくなる物語も、ない。
ここに絵に書いて示せぬのが残念だが、娘の泥棒ひげ顔は絶品だ。
それは二、三年前。風呂上がりに、
「ママ、みて」
と言うので、振り返ると、そこに泥棒ヒゲになってる娘がいた。口元にスーパーで売ってる太めの髪用ゴムを当てて、泥棒さんになっていたのだ。
娘は口が小さいので、おちょぼ口を囲むゴムの泥棒ヒゲが、とてつもなく似合って可愛かった。しかも可笑しかった。私が爆笑すると、以来、何かにつけて泥棒ヒゲを見せてくれるようになった。喧嘩して、
「あしたお弁当作んない」
「じゃあ二度と泥棒ヒゲやってあげない」
といった感じ。
その泥棒ヒゲを昨日、久しぶりにやってくれた。反抗期の今、そんなことはめったにやってくれないのに。私が笑ったら、
「ふん。元気じゃん」
だって。ああ泣ける。なんでこんないい子が、「源氏はぬれるし、たぶんたつ」なんて言ってる親から…………(以上、事実をもとにした作り話です)。。
それにしても、なんで、髪用ゴムを口にあててみようと思ったんだか。「ふと」思いついたんだろうが、ふつうそんなこと思いつかないよ。しかしこの「ふと」思いつくところから生まれるものって極めて高度な遊びを含んでるよな。
「必要は発明の母」っていうけど、何の必要もないのに。「ふと」やってみる。「出来心」というのとも似ているけれど、微妙に違う思いつき。そこに働いている心理を知りたい。