猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

ラストスパートエクスタシー

maonima2008-02-25

源氏物語』五十四帖もあと一帖を残すのみの「手習」巻を訳している。
凄過ぎる。毎日、泣きながら訳している。
セリフがいいのだ。
今まで世間体と自己保身ばかりの俗物の群れだった宇治十帖に、読む方もうんざり、救いの見えない物語にいい加減、暗い気分も限界になっていたところに、突如、降り立った横川僧都
拙著『もっと知りたい源氏物語』でも指摘したが、“憂し”に通じる宇治に対し、横川は“良し”に通じる
♪良くなるぞったら良くなるぞ♪という予感を漂わせるこの横川僧都のセリフが心洗われるうえ、さらに出家しているのに妙に俗っぽい、それだけに愚かしいほど懸命に、見ず知らずの浮舟を助けようと、兄僧都に言葉を尽くして訴える妹尼のセリフが、しみる。
毎日、原文を声を出して読みつつ訳しているんだが、もぅ独り芝居(ってより一人ライヴ。叫んだり歌ったりもするから)しているように、感情移入しちゃって、原文読みながら涙が落ちる。


うっそうとした木の根元に白く広がる謎の女を、弟子たちと時が移るまで見つめたあげく、
“これは人なり”
と断言する僧都。それでも、
「こんな得体の知れない女に関わったらまずいですよ」
「死んだらどうするんです」
「垣根の外に出しましょうよ。死んだら、穢れに触れてしまいますよ」
「仏法にとっても恥になりますよ」
と女と関わることを諌める弟子たちに
“まことの人のかたちなり。その命絶えぬを見る見る棄てんこといみじきことなり”
「残りの命がたとえ一日でも二日でも、惜しまないでいいはずがない」
“仏の必ず救ひたまふべき際なり”(仏は必ずこういう時こそ救ってくださる)
と主張する僧都
 結局、女は僧都の妹尼が引き取るのだが、四月五月を過ぎても回復しない。そこで妹尼は兄の僧都に必死の訴えをする。
なほ降りたまへ、この人助けたまへ、さすがに今日までもあるは、死ぬまじかりける人を、憑きしみ領じたるものの去らぬにこそあめれ、あが仏、京に出でたはまはばこそあらめ、ここまではあへなん”(やっぱり山を降りてください。この人を助けてください。さすがに今日まで生き延びているのは、何かがこの人に取り憑いて、その体を乗っ取ったまま居座っているからでしょう。どうか私の仏さま、京にお出になるならともかく、この小野までなら差し支えないでしょう)
 僧都は、仏に誓って山籠もりをしていた。が、朝廷の依頼さえ断る僧都が、この妹尼の、兄を仏にたとえた愚かしいまでの涙の訴えに、下山して加持祈祷を始める。ここでも弟子はもちろん、妹尼も、
「人にこんなことが知れて噂になったら」
と恐れるのだが、僧都は、
我無慚の法師にて、忌むことの中に破る戒は多からめど、女の筋につけてまだ譏りとらず、過つことなし。齢六十に余りて今さらに人のもどき負はむは、さるべきにこそはあらめ”
と、世間に非難されたらそれも運命だと、腹をくくって、弟子の中でも有能な阿闍梨とあの手この手で加持祈祷する。
 そうして現れたのは、なんと法師の物の怪。
“おのれはここまで参うで来て、かく調ぜられたてまつるべき身にもあらず。昔は、行ひせし法師の、いささかなる世に恨みをとどめて漂ひ歩きしほどに、良き女のあまた住みたまひし所に住みつきて、かたへは失ひてしに”
と、綿々と喋り出す、その語調ののろりとした不気味さ。実際、読む私の声も低くなり、おどろおどろしくなっているのか、そばで英語の宿題に英語絵本(三羽のヒヨコと小猫の話)を創作していた娘に、
「ママ、黙って仕事できないの。怖いよ」
と言われてしまった。
「怖い」というのは、このセリフが怖いというよりも、鼻をぐずぐずさせて泣いたり、高い声になったり声を潜めたり。こういう仕事の仕方をしている私が怖いんだろうが。

 とにかくこんな調子で「手習」はずんずん進む。紫式部が、筆より先に次から次へとセリフが心に浮かんで、手もたゆくなるほどスピーディにこの箇所を書いていたことが体で分かる。分からせてくれたこの仕事に感謝。ちくまの長嶋さんに感謝である。
「若菜」「浮舟」巻以来のスピード感。
人ならぬ“人形(ひとがた)”として薫に弄ばれていた浮舟だけに、横川僧都の“これは人なり”というセリフが心にしみるのだ。
このあと、「夢浮橋」で、くだんの薫の悪魔的なまでのセリフがあると思うと、ぞくぞくする。
「手習」から一気に「夢浮橋」にラストスパートして、「桐壺」巻からごーんごーんと見直します。


この横川僧都がまたちょっと抜けてて、そこから浮舟が運命に立ち向かわねばならない、自分で「選択」せざるを得ない、選択を迫られるフィナーレも絶妙。
尻切れトンボに見えるラストもいい。人の一生なんて、ほとんどみんな尻切れトンボ(OKUもそう言っていた)。きち・きち・ちゃん!と終わる一生なんてめったにない。あはれ紫式部。あっぱれ源氏物語
(以上、訳はもちろん大塚による。11月からちくま文庫より刊行のわたくしのナビつきの全訳源氏物語全六巻でお会いしましょう)



 保健所から連絡あり。ミソはシロ。だから毎日食べてる。