猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

五六の撥&いい男が多すぎる!

 最近、いい男が周りに目につき過ぎて困っている。
 なにも困ることはないのだが。というようなことを、「美的」の次の話にしようかなぁ。


 このブログも本当に書きたいことが書けなくて、実は、去年の十月から別の場所も用意して、月に一回くらい、本音を吐き出している。
 その他、さらにノートに日記まで書いているんだから、我ながらバッカじゃないの?と思う。
 それに文章を書くのは嫌いで、絵を描くのが好きだと言いつつ、本当は文を書くのも好きなのだろうか、とも。
 いや、決して好きじゃなく、文以外の方法……音楽とか絵画で表現できたらいいのだが、文だと早いので、やむに止まれぬ思いで、書かずにいられないのだ。 
 でも、そっちのほうはとても公開する勇気がなくて、私ひとりだけで見ているの。
 人に見せられない日記のほうがよほど面白いのだが、私は小心な小市民だから、それによってきつい性格の人にあれこれ言われるのは神経にこたえるから、嫌なのだ。
 

 たけくまメモで見て『ビアス短篇集』を読んだのだが、まるでつまらなくて、途中で投げ出してしまった。悪魔の辞典も好きじゃないし。 
 それより最近では森田正馬の『生の欲望』が面白かった。森田正馬神経症の治療法として「森田療法」を開発した人で有名だが、この人自身、かなり変人だ。今読むと、賛同できないことも多い(そもそも薬に頼らない療法が)が、森田正馬の言うこと為すことが可笑しい。
 何回か酒を飲んだ男がたびたび「自分はいつもご馳走になるばかりでまだ返礼もしないが、そのうちにいつかする」と言うので、その男の気持ちを不愉快に思って、その後一緒に飲むのをやめたとか。
 森田によると、「へだてのない同僚といっしょに飲むときには、必要なだけの酒と食物をできるだけ倹約に用意するだけで、見栄を張ったり恩を売ったりする気持ちは少しもない」「友情と愉快に語り合うよろこびのためにする」わけだから、その男の言うことが気に食わなかったという。
 その男の言い方も悪かつたのだろうが、なにか男のほうが気の毒になるような一節ではある。


  あと、瀬戸内寂聴山田詠美の『小説家の内緒話』(中公文庫)は面白かった。そりゃあ、作家はほんとのことは書いてないわなぁ。この二人は「物書きなんてみんなバカ。それでなくっちゃ」って思っているよなぁ。と思っているうち、叔母の言葉も思いだして、日記に書いたりしたのだが、作家でもない私がそんなことを書くのもちょっとあんまりなんで消してしまったんだった。でもねぇ、そのくらいなら、もうブログなんて書かなきゃいいのよね。見せられないものはひとりだけで見るために書いて、見せられるものだけを本として見せていけば。
 宇野千代が物書きは「パン屋のように物を書くべき」と言ってて、この意見にだけは宇野さんが好きな瀬戸内さんも賛同できなくて、「物書きはやっぱり芸術家であるべき」「芸術家は選択をせまられた時、損になるほうなるほうにいくという岡本太郎の言葉が印象的だった」と言ってるのが頭に残った。
 宇野千代の言うようなことは天才や天才肌と目されている人がよく口にする言葉だ。
 ああ、にぁにぁタマがうるさいなぁ。 



★★などと、もうこのブログ閉じようなどとしょんぼり思っていた、たった今、上原作和さんから「揺し按ずる暇も心あわたたしければ……『源氏物語』作家の琴学環境……」(「中古文学会賞」受賞論文)を送って頂いた。なんと、私が疑問に思って邦楽を幼い頃から嗜んでいる関河さんも「五七の撥なら分かるんですが、五六の撥って、論理的にいっておかしいんですよ」と首を傾げていた、あの若菜下の「五六の撥」に関する論文ではないか。
 嬉しい……。
 そして、知らないって怖い……。
 やっぱりこちらが本気になって頑張ると、人は応えてくれるものなんだな(ほかの筋は別として、こと学問の世界では)と、感激ひとしお。これからじっくり読んで、参考にしたものはみんな参考文献に載せねば。いっぱいになるんだろうなぁ参考文献。

★★★
今日あたり、嫌なことがありそうだ。
そう思っていたら、案の定だった。ここに書きたくてたまらないのだが、夫に「まだ書かないほうがいい」と諌められたので、やめておくが。しかしそれにしても、死は前よりしも来たらず、というか……。本当にジェットコースターのような人生だなぁ。