猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

不二子思い出写真&父のマーキング

maonima2008-04-08

「あんた、ちょっと近過ぎよ」
左ポロ、右不二子。





 父は折り紙好きで、月に二度、近所の喫茶店で折り紙教室を開いていて、弟子もいるというからどれほど立派なものかと思えば、弟子の数は一人。
 そう聞いていた。先日、実家に行くと、
「これは、名家にしか伝わらない雛人形の折り紙だ」
と言って、折り紙のお内裏さまを取り出したので、
「名家にしか伝わらない折り紙を、なんでパパが知ってるの」
と言うと、
「弟子に教わった」
と言う。
「弟子は名家なの」
「知らん」
「ていうか、弟子に教わったって、それ、弟子じゃないんじゃないの。むしろ弟子はパパじゃないの」
「違う。ゼリーとかもたくさんくれたし」
「ゼリーくれたら弟子なの? 弟子って一人でしょ」
「いや、二人に増えた」


 などと、父は言うが、その二人の弟子もどこまで弟子なのやら。というか、弟子たちは父の弟子であるという自覚はないのではないか。ゼリーくれたら弟子って無茶苦茶な理屈。それは、単なるお歳暮とかお中元とか、そういうものなのではないのか。弟子っていっても父と同じ年寄りらしいし、そもそも父のいう「折り紙教室」とは、単なる年寄りの茶飲み友達の集まりなのでは………。
 父はまた、脳卒中で要介護になった母の付き添いで、内科、眼科、歯科、脳外科、整形外科、神経内科、美容院などに行っているが、そこのすべてに手作りの干支の折り紙、指輪の折り紙、その他、色んな折り紙を提供している。そしてそれらすべての施設の受け付けには、父の折り紙が飾ってあるという。
「もしや図書館にも?」
「飾ってある」
「喫茶店にも?」
「もちろん。近くのレストランにも飾ってある」
「パパの行く所にはみんなパパの折り紙が飾ってあるんだ」
などと話していると、娘が、
「それってマーキングじゃない」
と口を挟んだ。父は、
「マーキング!! それはいい言葉だ。そうだ、マーキングだ。俺の行く所行く所、みんな俺が行った印に折り紙がある」
と調子に乗っている。気持ち悪いよ、そんなマーキング。帰り際、うっかり、
「干支の折り紙なら私も欲しいかな。ただし、うち、狭いからうんと小さいのじゃないと駄目だよ」
と口を滑らすと、父はいそいそと奥に行って、極小の干支折り紙を取り出してきた。大きいのもある。そうやって、いつでも誰にでも上げられるように大小、揃えてあるのだ。母の介護をしながら折っているのだろうか。
 折り紙の指輪は、各種医療機関の看護婦さんに上げるため百個折ったというが……。
 んあー、恥ずかしい。近くに父が住んでいなくて良かった。近くだったら、父のマーキングをそこら中で見なきゃいけないんだから。
 と、思っていると、
「これでひかりのうちにもマーキングできたな」
と父。我が家の玄関にも、父の折り紙が飾ってある。父が「弟子に教わって」大量生産した筒の中に折り鶴が浮かんでキラキラしている綺麗なやつ(干支折り紙と一緒にくれた。どうも弟子に教わったもののほうが父の折り紙より珍しいのが多い。父は「出藍の誉れだ」などと威張っているのだが……)。あー綺麗でもイヤっ。でも、隅々までピシッとしていて、さすがに上手なんだな、「弟子」が二人もいるだけあって。