最近は、朝と夜は玄関犬になってるシバ。
今朝も「シバ〜」と手を差し伸べたら、距離感が分からず、シバの左目に人指し指がブスッと。
一瞬、シバの目が濁った感じがして、ものもらいの人のようになったが、それでもにこにこ嬉しそうな、いじらしいシバ。
幸い、眼球にキズがつくほどでもなかったのか、十秒後にはいつものきらきらつぶら目に戻ったが。
ケダモノなんだから、反射神経で目をつぶれよ。
いや、それだけ私の動きが予測不能なほど素早かったのかもしれないが。
シバも家畜化してにぶくなっているのだろうか(家畜化っていうか、家畜だもんな……)。
那須では栃木牛というのが食事によく出てきた。
独特の臭みがあって、いかにも牛牛してるというか。
近辺には黒牛がいっぱいいる牧場がたくさんあって、そんな牛モーモーさんを見たあと、食べるというのは、牛の味が濃いだけに、さすがの私もなにやら哀れな気持ちになった。
牛もーもーさんを目の前にして、「牛もーもーさん」を連発していたら、娘が、
「なんでそんな幼稚な言い方するの。ふつうに牛でいいじゃん」
と言うから、
「いや違う。ああして生きてる牛は牛もーもーさんと鳴き声を織り交ぜることで、生きてる感を出して、死んで肉となった牛と区別してるんだよ」
と答えつつ、あんまり牛だらけなんで、いつのまにか、
「あーあーまた牛が」
と叫んだら、
「生きてる牛は牛もーもーさんじゃないの?」
と娘がまたつっこむから、
「いや、牛もーもーさんだと長ったらしいから、牛と略したんだよ」
「それだと食べる牛と区別できないんじゃないの」
としつこい。
とにかく那須には牛や牛もーもーさんがたくさんいた。
牛もーもーさんには子牛もーもー(子牛もーもーは子供なので呼び捨て)もひっついていて、食べられるために育てられてるとも知らず親子でけなげオーラを放って生きていた。
紫式部式にいえば、何のために生きてるかも分からぬまま日々をやり過ごす我々も、水鳥じゃない、あの牛もーもーさんと何の変わりがあるものか、ということなのかな……。
しかし牛もーもーさん牛もーもーさんて、我ながら「ぽ〜にょぽにょ」よりうるさいな。
そもそもポポ手って、あたしゃ、いったい……。