と、思ったこのとない人は、老若男女、働いている人いない人問わず、いないのではないか。
私もしょっちゅう思っている。
なにか、
世間から、
すっかり見棄てられたように思える時、
良い時もあればダメな時もあるさ、と、
頭では分かっていても、
何のために生きているのやら。
と、つい思う。
私みたいな人間には、夫や子供は不可欠だ。
世間は私を見棄てても、
夫や子供がいるじゃないか、
って思えるから。
ただ、
人間、ダメな時もあればいい時もある。
と、父親譲り、夫伝授の楽観性で、
なんとかやっている。
母方祖母もそういえば、
あんな絶望的な状況でずいぶん楽天的な人ではあった。
最後に勝つのは、
なにはともあれ、
楽天的な人だ。
と、あるいは若くして死んだ、あるいは白寿近くまで生きた、親戚縁者の顔を思い浮かべると、思う。
月刊『新潮』10月号の三田村雅子さんと橋本治の対談、とても頭良さげで、宇宙戦争みたい。
瀬戸内寂聴はやっぱりいい。
『源氏物語』を心から惚れ込まなければ伝えることはできないと言い、骨の芯から改めて『源氏物語』に惚れ直したと言える気持ち良さ、まっすぐさ。
大好きだ。
瀬戸内さんでさえ、
「いろんな凄い人が訳しているのに、自分が訳す意味があるのか」
と悩んだというのだから、わたしがいろいろ苦しむのも無理もないのだ。
大塚ごときが云々、と、
いろいろ言う人はいるだろう。
じっさい、そういう声も間接・直接的に聞こえてくる。
けれど、わたしは、
「『源氏物語』の訳をやらないか」
と言われたからやっているのだ。
そして、やると決めたからには、全力投球しているだけだ。
讀売新聞に私が出てる。