『源氏物語』の力技

源氏物語』ってほんと、『宇津保物語』などと比べると、道徳観の強いスクエアな物語だなぁとずっと思ってた。
瀬戸内寂聴とかも言ってるけど、親子丼はないし。
「母と子と犯せる罪」とか(これは平安時代に編纂された『延喜式』に伝わる「祝詞」にあって、神道からくるっていう)、当然、頭に入ってるだろうしね、紫式部
その他、漢籍由来の厳しい道徳観が頭に満載だから、よけい、玉鬘とか斎宮女御とかに対する態度がぎりぎりな感じでエロいんだね。
藤壺の髪つかみの一件もそうだし、ふるえる十歳の紫の上を単衣だけにおしくるんだとか、もろもろ、
「これはいけない」という知識があればこその強いエロの代表選手、『源氏物語』。
エロの陰にこういう道徳観があるから途中でバッシングは受けても千年も生き残っているんだろう。



それに『源氏物語』は、身分制について一言も声高に主張したりしないけれど、
産まれた娘を手放さざるを得なかった明石の君の苦悩とか、バラバラになった一族の悲しみとか、しつこいほどに、きっちり描くことで、身分制がいかに非人間的であるか、しぜんと読む者の心に訴えかけるようになっているのだよね。
というようなことを全訳『源氏物語』の第二巻の「薄雲」のナビにちょっぴり書いた。
貴人のお手付き女房(召人)のこと、あんなにいっぱい書いた物語も、同時代には『源氏物語』くらいだし。宇治十帖じゃ、中将の君なんて凄い存在感。
『宇津保物語』とか読んでみなよ、そんなのないから。
ミカドも駕輿丁も水鳥も、紫式部の頭の中では、一緒。
みーんな自分と同じ「苦悩する存在」だから凄いよ。
決して、天皇中心の、王権がどうのといった、敷き居の高い物語じゃないんだよ(そういう部分があるとしても、一つの切り口で、そう読めるというていど。それにつけても「ぱーぷる」って筆名で『源氏物語』を下敷きに携帯小説書いちゃう寂聴先生はさすがだわぁと思う)。
明石の入道の物語でもあるし、九州のゲン(大夫監)の物語でもあるし、常陸で長く育って都の貴公子に“人形”扱いされた浮舟の物語でもあるんだよ。
水鳥さえ自分と重ね合わせる紫式部だからこそ、それぞれのキャラに紫式部がなり切って、それぞれのキャラが立っているんだよ。



声高に主義主張を述べるのは野暮かアホのすることで、そんなことをしても耳うるさいだけで、人の心には何も伝わりやしない(マザー・テレサのように、着物と履き物だけしか私は持っていませんというようなところを見せてくれるならともかく)。
こういう『源氏物語』のやり方こそ、ほんとに身分制の非道さや空しさを訴えかけるという力技になっているんだよなぁ。
という気持ちで、自分の『源氏物語』全訳第二巻のナビを読み返している。



★最近、頂いた本。ありがとうございます。
立石和弘さん『男が女を盗む話』
…とても面白そう。
拉致される女というなら、拙著『「源氏物語」の身体測定』168ページ、『「ブス論」で読む源氏物語』124ページで、拉致(囲うこと)と女の小柄な体格と関連づけて書いているので、それも参照してほしいところだけど、でもちょっと問題が違うかな。


香山リカさん『親子という病』
…なにか身につまされそう。

小谷野敦さん『日本の歴代権力者』
…とても勉強になりそう。小谷野さんは系図作りが好きらしいけど、私も系図作りマニアで、大河ドラマみてもマハーバーラタよんでも、つい系図を作ってしまう。そうすると、関係が分かって、物語が頭に入りやすいのよね。もちろん『源氏物語』でも系図はいっぱい作って、結婚関係にない女君はもちろん、女房に至るまで点線(結婚関係は実線)で分かるようにしてるの。