猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

声は小さく&佐藤さん「新しい分からない方」&七絃琴

maonima2009-01-20

http://blog.livedoor.jp/cyusoken/archives/51256052.html?1232444148
たしかにね〜。
と、思いました。


そういえば昔、佐藤雅彦さんが、
「CMになると大音量になるの、あれ逆効果だね。音は、あえて小さくしたほうがいいんだよ。そのほうが、人は聞こうとするんだ」
と言っていたことを思い出しました。
佐藤さん…
http://www.axisinc.co.jp/publishing/magazine/vol/137.html
さっそくアマゾンで取り寄せたが、佐藤さんが出てくるのは巻頭のインタビューだけ。「作り方を作る」といういつもの話のほかに、「分かり方」ならぬ「新しい分からない方」っていう考え方を佐藤さんは提示していて、
何のことかわからないけれど、少なくともその分からなさは初めてのわからなさだということだけはわかる、というような。
たとえば1895年にリュミエール兄弟が初めて壁に映画を投影したとき、観た人にとってそれは「新しい分からない方」だった、けれど、時代が経つにつれ投影の仕組みが解明されて、誰も驚かなくなるというような。

私はエッセイストだからか、学術論文とかよりこういうのに吸い寄せられていく。
だから、興味もてば学問的なものでも驚くほどマイナーなものを読んだりする代わり、
吸い寄せられていかないと、学者にとって「読んでて当然」と思われるらしきものを読んでなかったりするようだ。

が、今回の『源氏物語』の全訳となると話は別で、ナビで自分の考えを出すにしても、その考えはすでに人が出したものかもしれないし、異説も最低限、知りたいしで、学者の本も積極的に読んで、教えを請うようにしている。
音楽みたいに読んでも分からないものはとくに。



1/21
アメリカって祭政一致の国なんだね。
大統領就任のパレードみて思う。


http://takanashi.livedoor.biz/
この人はどう変わっていくのか……。


★★★★★★★★★
原豊二さんより『日本文学における琴学史の基礎的研究』<論考編>(原豊二編)(2009年2月)。
これは、去年3月、明治大学であった「シンポジウム源氏物語と七絃琴」で配られた「日本文学における琴学史の基礎的研究」<資料編>(原豊二・中丸貴史編)の続編なのだろう。
嬉しい。
よくみたら、
2/28(土)10時より同志社大学今出川校舎で開催される京都シンポジウムで配布予定のものらしい。
京都は今とても行けないからよけいに嬉しい。
シンポジウムについてhttp://www.geocities.co.jp/Berkeley/5649/
無料だし、伏見无家さんによる七絃琴の演奏があるようだし、これはおトクだ。


東京でも3/8にある。これはぜひ行きたい。
http://genjimonogatari.blog79.fc2.com/blog-entry-732.html




琴っていうと、私は『宇津保物語』や『源氏物語』の琴もさることながら、
古事記』で、仲哀天皇が琴をひきながら、神功皇后のよせた神の告げを請うものの、疑って頓死する話。これを思い出して怖いイメージがある。
源氏物語』でも、琴の琴は、生半可に習うと、災いをもたらすって源氏は言ってるし(言いながら、女三の宮に特訓してるし。そいで案の定、女三の宮は柏木に犯され……ってなるんだけど)。
それだけになにか吸い寄せられるところがある。
危険なものって魅惑的よね。


原豊二・岡部明日香・正道寺康子の各氏編の、伏見无家演奏CD付き小冊子「日本琴學」はわずか9頁だけど、ためになって、『源氏物語』の四巻(五月刊行予定)の参考文献にも載せさせていただいた。