猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

夫はだめんず?

maonima2009-01-30

私は夫はをだめんずと思ったことはなかった。
だって働き者だし、子供の弁当だって作ってくれるし、暴力だって振るわないし。
でも、
「なんで私、くらたまだめんずうぉ〜か〜を愛読してるんだろうな」
とこないだ考えて、
「人の不幸が面白いのかな」
とも思ったんだが、どうもそれだけじゃないことに気づいた。
見知らぬ愚かしい女の言動(これ、もし知り合いだと嫌だろう。というか、私の知り合い、少なくとも友達には私以外に愚かしい女はいない。実際、つきあうとなると、愚かしい女は重いと思う。そして知り合いの不幸に対応する度量が私にはないのだと思う)は見てて可笑しいが、凄惨過ぎるとつまらなくなる。可笑しいと思う女の言動は、私にも通じるものがあると。
夫にもだめんずな要素があるというか、私もだめんずに惹かれるところがあると気づいたのだ。



そもそも夫は結婚当時、三十過ぎてたのに一円の貯金もないばかりか、借金が三百万円あった。
その上アコムや丸井の借用書が送られてきて、問いただしたら、
「あなたの結婚指輪を買おうと思って。でもお金ないから」
と言うので、
「結婚指輪なんて要らないよ。早く返してそのお金」
と言って返させた。
だから私は結婚指輪を持っていない。
つきあいはじめのころ、何日もいなくなったと思ったら、雀荘で寝泊まりしてたこともあった。
卒業大学も私の卒業した大学と比べると偏差値も低い三流大(夫はそうは思っていない。そう言うと「え〜田舎であそこに行けたら、いいほうなんだよ〜」と、怒らず、笑って答えるところが夫の凄さである。が、「バカ」と言うと怒る。って、言ってんのか)、当時つとめてた会社も社長を含めて社員五人だった。



だけど、不思議なことに、そういうのは、まったく気にならなかったのだ。
将来の不安とか、まるでなかったんだよね。
それは今もおんなじ。


でも客観的にみると、一種のだめんず的要素があったのかな、と思ったりもする。
というのも去年、「退職金のお知らせ」ってのがきて、それが850万円だったのだが、夫からはひとことも退職金が出たという話はきかなかった。もちろん退職して、自分たちの会社を始めたのは知ってたけど。
夫に問いただすと、
「新しい会社の資金にしたんだよ。隠すつもりなんてあるわけないよ。隠すつもりなら、お知らせが家にくるようにはしないじゃん」とのことだった。
この時も、私は「ふ〜ん」と思っただけだったのである。
もしや、私の感覚は、ちょっと変なのかもしれない。
ひょっとして、「だめんずうぉ〜か〜」的な要素があるのかも。
と、思い始めたのは、このことを思い出してからである。


私は博打とか賭け事は嫌いで、自分は一着のセーターを買うのにも、迷いに迷って、結局やめたりする堅実な性格なのだが、どこかで、夫のような「博打人生」とも言える人生に憧れてるのかな。

といった書き方だと、私がすこぶる「いい人」みたいだが(そうでもないか。いや、「いい人」っぽいよな、この書き方だと)、いい人は夫であって、私はそうでもないと思う。
昔話の「舌切り雀」のように、おじいさんはいい人でも、おばあさんは意地悪って夫婦はあるだろう。
まぁ『宇治拾遺物語』の原話の「雀報恩事」では、これ、老夫婦じゃなくて、おばあさんと、隣のおばあさんの話なんだけどね。



たとえ男が外で泥棒してても人殺しでも、女は自分を愛してくれればいいって、漱石かなんかの本に書いてあった気がするが、そういう感じもあるのかな、私の場合。かなしい、さびしい女だね。
いずれにしても、夫婦はどこかで釣り合っているもの。
夫と私も、どこかでパランスがとれているのだろう。
でも、夫が働かなくなったら、一気に嫌になったりして。ふふ。
私も夫も定年のない仕事だけれど、夫は引退したら何をするんだろう。
カラダが動けば、一緒にシバの散歩ができればいいけど。