猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

ケンカは「子供の遊び」

 毎日毎食後に、ご飯食べた事忘れないようにって、シールと手帖を渡して、母はシール貼り続けてくれていたんだけれど、シールが切れて、新しいシールにしたら、とたんにペースが狂って、十日おきくらいに、まばらにシールが貼られていた。
そしてなぜだか、
「今日は12月23日でしょ」
と言っていた。あしたはクリスマスイブって、思わせる何かがあったのかな。
枕元に、ケンカだの花一もんめだのビー玉だのお手玉だのといった文字の書かれたわらばん紙(すごく久しぶりに見た)があったので、
「なにこれ?」と聞くと、
「ああ、それは子供の遊びで思いつくものをあげてって聞かれて、書かされたの。あと、野菜を思いつくだけあげてというのもあった。そういうテストみたいなの、いろいろやらされているの」
 ケンカは、子供の遊びなのかぁ。



 夫の伯母がやはり認知症になって、その伯母の旦那さんが、いろいろ調べたところ、認知症にはバナナとみかんがいいというので、気休めにたくさん食べさせているというのを聞いて、私も母に、
「退院したら、バナナとみかんをたくさん食べるといいよ」
と言うと、
「ああ、じゃあうちの食事はけっこうよかったのね。じーじはいつもバナナとなにか、あの、なんていったか、パンを食べている。あのパンは美味しい」
って、わりと普通な会話が展開。
 



病院の食事が美味しいって繰り返していたけれど、退院してからの母の食事が心配。
おかゆじゃないと食べられないみたいだし。
レトルトかゆや豆腐を多用しつつ、卵、しらす、果物などを織り交ぜた、バランスのいい食事を父が用意できるだろうか。
以前、市の給食サービスを利用したら、冷凍食でまずかったというけれど。




うちの子を見舞いに伴うのは、わりと久しぶりだったけれど、それでも三週間くらいしか経っていないのに、うちの子を見て、
「13歳の時以来、会ってなかったわよね〜、あらまぁ」
と感激していた。それじゃあ、何年も会ってなかったことになるよ。そのくらい会ってない気がしたのかな。待ち遠しかったのかな。
会うたび忘れてしまうから、次に会うたびに感動も大きいのだろうけれど、会うと、いつもあっさりしている母なんだよね。
でも、ぼけて、何があったか忘れても、嬉しかった、悲しかった、嫌だった、と感じた感覚だけは残るらしい。
だから、「さっきも聞いたでしょ!」「何度言ったら分かるの」とか怒っても、ただ相手を悲しく、不安定な気持ちにさせるだけらしい。
たしかに、こっちは初めて聞くつもりなのに、「何度も聞かないで」とか言われたら、ムッとするわな。

たとえ何があったか忘れても、なにやら嬉しかったという感じが残ることはいいことだ。
それに以前は、うちの子が誰だか分からず、私のいとこの子と勘違いしてたことを思えば、自分の孫だということが分かっただけでも凄い。