猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20100126bk05.htm
こないだ受けた読売の取材がネットにも。

この時期、本当にありがたいことです。
が、私はこんなに文豪訳に好意的には喋っていないんですよ。
「見る」「語らふ」は「男の真剣さによって使い分けた」という言い方は正確じゃないというか、
貴婦人が人前に姿を見せなかった当時、「見る」ことイコールセックスであり結婚、「語らふ」はもともと人前に姿を見せている女房相手のことが多いっていうことが主眼で、それが「女に対する男の真剣さ」に反映されているから、きっちり使い分けた的に言ったんだが。
「美文ではなく、物語の世界観を伝えたい」ってのはその通りだけれど、
「その言語が分からない人の心をも打つのが古典たるゆえん。ふつうギリシア神話を日本人は原語で読みませんよね(←シェークスピアを読む人はけっこういるという指摘があったので、いま消した)。でも感動したり面白く感じる。それはそこに普遍的に人の心に迫る世界観があるから。だからこそ古典なんです。文豪の訳は、日本語の分かる人には読めるでしょうが、「見る」「語らふ」を使い分ける『源氏物語』の世界観までは伝えられない。それを伝えることで、面白さを伝えたかった」と言ったんですね。
「文豪の訳じゃ『源氏物語』は分からない。面白さは伝えられない」って批判的な感じに言ったつもりだったんだけど、
それもひとえに私の伝達能力のなさゆえです。


>「すきずきしき心」に「スケベ心」、「あだめく」に「エロい態度になる」
って、自分でも忘れてるっていうか、たぷん一巻あたりの訳だろうな。
巻を追うごとに、こういう訳じゃなくなってるから。
そのことは記者も指摘してたが、こういう訳があるって言ったほうがキャッチーではあるよね。



でも考えてみれば、これも一つの解釈なんだし、私の気づかない私の本の良さを伝えてるという気もしてきました。
アマゾンの順位もいつもよりは上がってるようだから、取材してもらって良かった。
ありがとう待田さん!