猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

ゆうべ電話で来月80になる父と大げんか。
私の「施設に入れる」という言い方が気にくわないと。
「お母さんは荷物か何かじゃないんだから、あっちからこっちへ運ぶみたいに、施設に入れるとかいう言い方は気になる」と。
そんなわけない、もしそうならどこの施設でもいいってなるけど、こんなにいくつも探して見学しようとしているのは、少しでもママに合った、いい所をと思って言ってるのに、パパは今まで一つだって見て回ろうとしないからたくさん予約して車で一ペんに回る手配をしているのにと言うと、
「お前は言い方が過激なんだ。腹が立つ。俺ができないできないと言うが、俺はできる。この六年、俺がみんなやってきた。今だって着替えの洗濯から、着替え運びで二日おきに病院に行っている。老健はこれから行こうと思っていたんだ。精一杯やってきたんだ。去年だって一生懸命やって、ママがお隣にピンポンしたりするから、嫌がるママをひとりで無理やりタクシーに乗せて病院に行かせたのは俺だ。子供には分からない五〇年の歴史がある」
「それは分かってるけど」
「分かってるという言葉は口先にしか聞こえない」
「でも結果的には六年前だって倒れてからもパパがいながら救急車も呼ばないで六時間も経ってしまって、結局弟が対処したんだし、去年だって同じことで、結果的にこうなんだから。施設っていってもいろいろあるし」
「今はママは体重も49キロに戻っているから大丈夫だ」
「だけど退院すればまた同じことの繰り返しだよ」
「そんなことはやってみなきゃわからん」
「やってみてダメじゃ遅いんだよ」
「責任は俺がかぶる」
「パパがかぶっても、ママはどうなんの。手遅れになったら」
「大丈夫だ」
みたいな感じで、ますます意固地になってるのだ。
在宅介護って言ってるけど、それに必要なケアマネもつけず、統括センターに電話すらしなかったから、私が手配したということは忘れた風。
言ってることにも矛盾があって、あまりにヒステリックなのだが、
「ヒステリーはひかりだ」
と言われてしまった。
「それでもいいけど、そんなヒステリーだと認知症の人は見れないよ」
認知症は平気だ。ひかりは認知症じゃないだろう」
といった具合。





しかしすぐに入れる老健は今のところなく、
いずれにしても数ヶ月は父が在宅介護することにはなるかもしれない。
病院は母だけだから遠くても週一通うのは何の苦もないが、在宅となると父がいるから、きっと私は月に一度くらいしか行く気がしなくなるだろう。去年、母がおかしくなってしまった九月の時のように(その時も父と大喧嘩して、一月くらい行ってなかったのだ)。
http://kokoro.squares.net/psyqa1680.html
父に似てる。
しかしこうして書いてみると、私の対応はこの手の人に対するものとしては最悪なのかも。
それにしても父の絶対の自信はどこから来るのだろう。


あと、大手の有料ホームなら、ベネッセとワタミ、どっちがいいんだろう。
また必ずしも大手じゃなくて、NPO法人なんかでこじまんりとやってる所で良さそうなのもあるようで、実は父が卓球仲間から紹介されてるのはこの手の施設だから、ひょっとして父任せにしちゃったほうがいいのかな、私が空回りしてたのかな、と弱気になってくる今日この頃。