そういえば、母は二度の脳出血で、記憶力等や運動能力は著しく低下しているのだが、
耳はすごくいい。
こないだも皆で話していたら、
「あら、食事だわ。行かなきゃ」
と言い出すから、ああ、今は食べ物への執着心だけが残っているから、またこんなことを、と思っていたら、遠くからかすかに、
「お食事ですよ」
という声が。
端の部屋から順々に介護士が声をかけていたのだ。
私も夫も子供も誰一人として気づかなかったのに、母だけがいち早く聞き取った。
逆にいうと、我々との会話にはろくに耳を傾けていなかったのかもしれないけれど、
ほんとに食に関することには神経が研ぎ澄まされているようなのだ。
全身で、食を感じているようで頼もしいのだ。
(ちょっとシバを思い起こさせる。少しでもガサッと音がすると、すぐおやつ!と思ってしまう、食に関する神経が研ぎ澄まされているシバ)
また、一度行ったことのある場所に連れてくと、その場所に関する記憶がよみがえるようだ。
これは、私もよくあることで、シバの散歩の途中、近所の寺の近くで、古代中国の皇帝の名を覚えたことがあるのだが、その寺の近くを通りかかると、ふだんはすっかり忘れている古代中国の皇帝の名がすらすらとよみがえる。
そんなとき、人は脳だけで感じているわけではないのだ、足で手で肌で鼻で、いろいろ感じて考えているのだと、思う。
まぁ目や鼻でキャッチした情報が脳に届いてそうなるんだろうが、脳がやられて新しい記憶はずいぶん失せたはずの母が、わりと最近に過ごしていた場所に連れて行かれると、そこでのことを思い出すのは、やっぱり人は脳だけで動いているわけじゃないんじゃないか、皮膚や足や目や胃腸だってかなり脳を動かしているんじゃないか、皮膚にも胃腸にも鼻にも、ここかしこに脳みたいなものがあるのでは、みたいなことを感じてしまう。
よく老人が引っ越すと急に惚けるというのも、全身で記憶し考えているから、体が馴染んだ土地を離れると、脳の負担が大きくなってダメになってしまうのだろう。