猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

種彦の『近世怪談霜夜星』読み返したついでに、『浅間嶽面影草紙』も読む。えぐいが意外とぐいぐい読めて、一気。
『偐紫』は途中で嫌んなって投げ出したのに。
二度三度と読む気はしないし、泥臭くて辛気くさいのに、『東海道四谷怪談』にはない、妙ななつかしさを種彦作品には覚える。




さかもと未明『神様は、いじわる』
私も父方の叔母を膠原病でなくしているが、病気もさることながら、こんな過酷な家庭に育ったのかと驚いた。
さかもと氏の父親は酒が入ると母親を殴るなどの暴力を振るう人で、さかもと氏は長女として小さい頃から大変な苦労を強いられてきた。



膠原病で死んだ父方叔母の父親、つまり私の父方祖父も、話によるとアル中と言っていいような人だったらしい。
父方祖母は徳島の大庄屋の生まれで、その兄は、大塚証券という証券会社を起こした。その大塚家に婿入りしたのが父方祖父で、旧姓は「かくたに」とかいったと思うが、結婚後は妻の「大塚」姓に変え、完全に大塚家の人間として働いていた。
大塚証券はたいへん繁盛したそうで、父は大学を卒業したあともまた別の大学に入ったりして三十近くまで働いたことがなかったそうだし、叔母も小さい頃から習い事三昧の日々だったそうだが、父や祖母の話によると父方祖父は婿という立場の肩身の狭さからアルコールに走ったのではという。父方祖父は私が三歳の頃、死んでるので真相はよく分からない。
父は理系なので証券会社にはいかなかったが、父の兄は大塚証券と関係の深かった山一証券に最初勤め、最後は大塚証券へ行った。豪快な人で、母が父と比較して「お義兄さんは貫禄がある」と褒めていたものだが、その父親同様アルコールが好きで、晩年は糖尿病になり、歩けなくなって六十代で亡くなった。
父は、自分の親の酒癖が嫌で、酒だけは飲むまいと誓ったそうで、昔も、八十になる今も酒は一滴ものまない。
母は健康のためとワインなどを飲んでいたが、父は自分で漬けた梅酒をたまに味見になめるくらいで、その梅酒も我が家ではのみきれず早いうちに作らなくなっていた。



膠原病の原因は不明というが、なにか小さい頃のストレスとかが関係しているのではとふと思ったりしたものの、たまたまだろう。