今日は、いろいろ思うところあって、浅間嶽面影草紙とか、岩波文庫の江戸怪談集(上中下)とか、朝からずーっと読み返す。
私の小学生時代の親友のお母さんから電話。
今日は、思い切って、母の老人ホームに見舞いに行くことにしたという。
今頃、その人は帰宅している頃だろうが、その人曰く「カミソリみたいに切れ者」だった時代の母を知るその人としては、今の母を見てどんな気持ちだったろう。
母の反応は、いかなるものだったろうか。
いま、その、友達のお母さん(以下おばちゃん)から電話があった。
おばちゃんが行くと、母は洗面所にいて、まだ顔を見る前から、
「その声は●●さんね」
と言い当てたので、驚いたという。
そして白楽に住んでいた頃の話で盛り上がり、三時間半も一緒に喋ったという。
途中、「白楽に豪邸を建てたから泊まりに来て」だの事実とは違うことを言ったりもして、同席した私の父は「ほらこういうとこがおかしいんです」と口を挟んだりしたそうだが、
「全然気にならなかった」とおばちゃん。
「お母さんは絶対私のことは分かるって自信があったけど、まさか声だけで分かってくれとるは。話も出来たし、ほんとに嬉しかった。行って良かった」
とのことで、私も嬉しいこと限りなかった。
しかし、自分が生んだ子供の数は、どう考えても忘れそうにないことにもかかわらず、
「五、六人かしら」とか、
「二、三人?」
とかおぼつかないのに(ほんとは二人)、
子供の友達のお母さんのことは、はっきり声まで覚えているなんて、脳とか記憶ってつくづく不思議。