猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

maonima2011-02-04

昨日は夫の休みが取れたので、またスキー。
今回、はじめて中級者コースを滑り、人が少なかったせいもあって、一度くらいしか転ばなかった。
しかし人がいると、ぶつかるのではと気が動転して転んでしまう。
技術的なものというより精神的なものだと夫は言う。
だいたいの人は精神的なものに支配されている部分が大きいかと思うが、私の場合、一事が万事、それに左右されている気がする。
仕事でも、ちょっとしたことで「この人は嫌」と感じるような出来事があると、もうすべてが嫌になってしまうような。
淡々と自分の思うところを述べて、あとは互いにやり取りしあって、仕事をできるか否か、できるとしたらどういうふうにしていくかを、判断すればいいのだろうが、やり取り自体が苦痛になるというか。
何かやる前に、すべてのやる気がそがれてしまいがち。





それはそうと昨日のスキー場で、すごく怖いお父さんがいた。
息子に、
「『はい』は?」と返事を迫ったり、
「分かった?」と聞いて「分かった」と息子が答えると、
「分かってないだろ、そこはこうで、あれはああで」みたいに、息子をどんどん追い詰め萎縮させる物言い。
あとでうちの子や夫に聞くと、妻らしき人にも、
「お前がちゃんと準備してないから、こんなことに」とか怒っていて、妻は無言だったそうだ。
そんなんでスキーに来て何が楽しいのだろう。
息子もこんなお父さんより、スキー教室のコーチとかに習ったほうがいいのではないかと思えて、こないだ読み返したレイトンの『親を殺した子供たち』が心に浮かんだりもした。
そういえば、私が小学生時代、父に、よく、
「返事は?」
「『うん』じゃなくて『はい』」
「『だよ』じゃないっ。女の子は『だ』はつけない」
などと細かいことを言われていたことを思い出しもした。
そんなこと言われたって、私の通ってた公立小なんか、女の子だってみんな「だよ」「だよ」言ってたんだからさムリがあるっての。
こんなんじゃ、小学校で浮くのも当然だけど、ちゃんと私と同じ漫画好きの友達ができたのは、今思うと大きな救いだった(彼女も中高は私立の女子校に通わされていた。似たような境遇だったのだ)。
それに隣に住んでた母方祖母はそんなうるさいことは一切言わない人だったから、本当に良かった。
一筋縄ではいかない妻方に囲まれて、父は気負っていたのかなぁ。白楽から引っ越したら、そういうこともなくなったし。

いずれにしても私にも子供にも、ひたすら褒めつつスキーを教えてくれるような夫で良かった。
というか、そういう人だから結婚したわけだが。

父親が子供を些細なことでガミガミやるのはこんなに見苦しく嫌なものなのに、母がそれを黙認していたのは、十二、三歳で父親を亡くしたから父親のイメージがよくつかめてなかったのだろうか。母の姉や祖母、母自身が言うには、優しい父親だったそうなのに。
父は母には頭が上がらなかったから、自分に火の粉が降りかからぬ分にはいいと思ったのか、それとも父の言い分に母も賛成だったのだろうか。



あと、ちょっとでも嫌となると、すべて嫌!となる私の性癖は、こんな過去と少しは関係があったりするのだろうか。まぁ過去ってほどの過去でもないし、それが分かったところで、どうなるというわけでもないが。この年になると、ほんと、万事楽しくやりたい気持ちが先行して、あの男の子も、スキーなんか多少下手でも良いから、もっとにこにこ滑れたらどんなにいいだろうに、と、昨日のあの子の堅い表情を思い出すにつれ、胸が痛む。