猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

『落窪物語』に漂う「臭さ」

『快楽でよみとく古典文学』が、3/6の産経新聞で紹介されました。山本淳子さん、ありがとうございます。http://sankei.jp.msn.com/life/news/110306/bks11030607580006-n1.htm
そういや、「産経」の「古典にポッ」(1/15掲載)で書いたけど、たとえば、『伊勢物語』でいい女と見るや、紙がないから着ていた服を切り取って文を送る男を以て「昔の人はこんなに情熱的な恋をしたもんだよ」とか愚かしいまでに色恋に生きた男の話が作られ受け入れたのって、もしや『伊勢物語』ができた十世紀初め、今の草食系といわれる男や「恋って面倒。早く専業主婦になったほうが楽じゃん」みたいな女が増えて、業平がリアルに生きていた九世紀のイケイケ女や肉食系男に懐かしみを覚えていたからという、薔薇の花束100本送るとかのバブル時代の濃ゆい性愛を懐かしむような感じがあったのではないか。って気がする。
その後の『源氏物語』には「性への嫌悪感」が底に流れている感じもあるしね。



あと、
3/7発売の『Precious』4月号「プレシャスキャリアの100の「夢中」」で、書道について話しました。ずっとちゃんとやりたかった書道を去年五月始め、続けてこられたのも、褒めようがないと紙まで褒めてくれる先生のおかげ。



さて今、『落窪物語』の原稿書いてて思ったんだけど、『落窪物語』の特徴ってとくに前半に漂う「におい」、「臭さ」なんだよね。
姫の着古した袴の臭さ、男君が踏んづけた屎の臭さ、姫が閉じ込められた納戸の臭さ、典薬助の下痢の臭さ。
なんで『落窪物語』はこんなにも「臭さ」に満ちているんだろう。と昨日寝ながら考えて、いま自分なりの考えを書いてる。一つには『往生要集』の穢土にも通じる臭さなんだろうな。あとは……。
まぁ古典エッセイストだからもっとくだけて書かないといけないけど。その、くだけて書くのがほんとに苦労なんだよ。中学生に話しかけるように、書かないといけない。声に出して話しているうち、自分の考えの曖昧さにも気づいて勉強になるんだけどね。



土曜、また小学校時代の友達のお母さんが母の見舞いに行ってくれたらしい。電話で話を聞くと、私が見舞いに行った二週間前よりずいぶん元気がなかったようで、体は右に傾き、車椅子に座っていられる時間も少なかったとか。それに月曜3/7、歯医者の往診で父は母を入歯にさせようと考えているようだが、母の認知症が進んだのは抜歯がきっかけだし、今も食事には支障がないので入れ歯は慎重にしたほうがいいと父にはメール&電話した。