まさかこれほどの大惨事につながる大地震になっているとは思わなかった。
3/11金曜日、ちょうど大阪から来た方に古事記に関する取材を受けていたところだった。
やけに大きな地震と思ったが、なんとかなると思っていたら、その方は阪神淡路大震災を経験したとのことで、すぐ机の下に隠れ、私も同じように隠れた。
もう終わる頃かと思っても地震はしぶとく、嫌な揺れがびたびた続く。
その人の指示でテレビをつけると、東北の被害がひどそうだということは分かったが、そのまま古事記の話をして、その人と別れ、疲れたので二階に寝に行くと、本棚の本がいくつか落ち、載せておいたボールが転がっていた。
その後起きて、夜になってテレビやネットを見たら、ここ杉並は震度五強だったことを知る。
そして交通網も麻痺していることを知った。
あの人は大阪に帰れたろうか、いや今頃は東京本社にいるだろう、こんなことなら引き留めておけばよかったと悔やむことしきり。
月・火と予定していた旅行先をキャンセルしようと電話をするもすぐにはつながらず、つながっても電話中が続いたが、なんとかキャンセル。
十二時過ぎても夫は帰ってこず、何度も電話すると、会社で契約している駐車場が壊れ、車が出せなくなっている、タクシーもつかまらないとのこと。
結局、12日の午前五時に夫は帰宅。
翌13日、予定されていた母の早めの誕生日会も取りやめ、弟にメールで連絡すると、当日は弟も出先から二時間半歩いて自宅に戻ったとのこと。
それでも甚大な被害と死者を出している地方の方に比べれば、こうしていられるだけ本当にありがたい。
今東京にいてできることの第一は節電と寄付だと思うので、私はled電球の使用、夫は「使い途の分からない税金よりは」と言うので、ツイッターの受け売りで、指定寄付金の日本赤十字への寄付を勧めておいた(http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html)。
領収証をちゃんともらえば税金対策にもなるようだ。
led電球は軽さではパナソニック、明るさでは東芝がいいが、私はパナソニックのが好きだ。
なんだかまったく集中できないので、昨夜は『方丈記』を読み返した。
“恐れのなかに恐るべかりけるはただ地震なりけりとこそ覚え侍りしか”ということばが身にしみる。
その後、ふだんなら驚くほどの地震が日に二、三十回もあり、十日二十日過ぎると、ようやく間遠になって、日に四、五度、二、三度、あるいは一日おき、二、三日に一度とかして、おおよそ三ヶ月でおさまったと、余震の様も書いてある。
地震ではなく、飢饉の記事ではあるが、
“京のならひ、何わざにつけても、みなもとは田舎をこそ頼めるに”、田舎が飢饉にあって都が困窮に陥る様も身につまされる。
ちょうど金曜に送信した次号「美的」では『往生要集』について書いたのだが、その『往生要集』の名も、長明の座右の書として『方丈記』には出てきていたのだった。
ここんとこ、やたら甘いもんが欲しくなるのは精神不安定になっているんだろう。