猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

写真は一足先にニューヨークにいる祖父のもとに、秩父丸で行く祖母たち(祖父が社員なので一等船室の皆でこうして甲板で記念写真を撮っているのです。私もこの中にいたかったな……)。
浮き輪を持ってる男の子のが母の兄。一つおいて右が母の姉。その右の小さい子が母。浮き輪の斜め右上の小柄な着物姿の女が祖母。
ほかにも何人か子どもがいるが、今は何をしているのだろう。




金曜は急に休みになった友達と下北沢でお茶。
彼女のアドバイスはあいかわらず心に響く。
成人後は親と自分を切り離して考えることが、自分の救いになると、彼女。
これは、歯科心身症の時、歯の不具合と心の苦痛を切り離して考えた時(鬱々とした気分は歯がおかしいから、と心身を連動して考えるのでなく、歯のおかしさと心の不調は別と考える)、楽になったのと似てる。
普通は心身は連動していると考えがちだが、そうやって心の不調を体のせいにしている限り、心の不調はよくはならなかった。
体のせいで心がおかしくなっているのが事実だとしても、つなげて考えている限り、苦しさから抜け出せないのだ。
親子関係も同じ事。
今の性格、そしてその性格がもたらす現状は、親のせいというのが事実だとしても、そうやって親と連動して考えている限り、心は楽にならない。
この自分の現状は自分の責任と考えれば、自分次第でどうにでもなるのだと思えて、楽になるのだ。


彼女のことばは、親子関係で苦しみ抜いたからこそ、出てきたのだと感じた。




同じように、
自分以外のものや歴史を支えに生きる人生は苦しい。
たとえそのものや歴史が自分を形作っているにしても、そこにだけとらわれていると……。
しかし、それを自分とは別物と考え、面白がることができれば、急に楽しくなってくるのだ。



土曜はシビラ。