おととい次の「美的」の西鶴の原稿書き上げました。
 西鶴、今まであんまし好きじゃなかったけど、ここ一月、西鶴の町人物・武家物・好色物と、まとめて読んだら、ルポルタージュと思えば面白いのです。
 『源氏物語』とかの身分意識と比べると、西鶴の、
“俗姓・筋目にもかまはず、ただ金銀が町人の氏系図になるぞかし”
(『日本永代蔵』巻六)というセリフはたしかに小気味良いし。



 「美的」にも書きましたが、金は身分の貴賤を選びません。
 大名の子じゃなくても、金さえあれば、たったひとりの芝居見物に料理の間や料理人を用意し、医者や俳諧師を引き連れ、用心棒や医者を控えさせ、仮設湯殿・仮設トイレも備え、何不自由ないしつらえができる。
 生まれついての身分より、稼いだ金が物を言う。こんな平等なことってないですよ。
 ま、そうはいっても、その金自体、親から受け継いだものだったりするのが現実で、西鶴の小説に出てくる豪商も二代目・三代目が多いから、そうなるともう全然平等じゃないんですが。
 『日本永代蔵』で取り上げているのは、“大福新長者教”の副題通り、基本、一代の成り上がり。
 でも、金の使い途が、西鶴の小説よんでると、贅沢な芝居見物とか廓遊びとか、羨ましくもないことばかりだったりして、だから今までそんなに好きじゃなかったんだろうな。