猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

昨日は一言主神社のからくり綱火へ。
始まりは夜七時半から三十分くらいで終わったけど、素朴で幻想的で素晴らしかった。ただ、一言主神社の印象が十四年前に来た時と全然違う。十四年前のほうが人がごった返して、屋台も今の十倍近くあって、賑わっていた。


茨城の一言主神社のからくり綱火、1913年ころには夜を徹して行われていたらしい。昔の祭は夜を徹して行われるものが多かったよね。
思うに、人間には「徹夜欲」というか、徹夜願望みたいのがある気がする。
三しの虫が入るのを防ぐためとかいって眠らない庚申講なんてのもあったし。
それがコンビニが出来たりして人の徹夜欲が日常的に満たされるようになると、徹夜祭や庚申講の必要もなくなったというのも廃れた一因では……。
もちろん経済成長でそれどころじゃなくなったとか、信仰心の薄れとか、地域のコミュニティがどうのこうのという理由が大きいんだけど、一つには……ってことで。



到着してから綱火まで次巻があったので、文学界の小谷野敦さんの『ヌエのいた家』読んだ。
面白くて一気読みだった。
ヌエもさることながら、犬のカピのくだりが色々考えさせられるところがあった。
文学に出てくる動物って、主人公や登場人物の状態を象徴していることがあって妙に心に残るよね。『枕草子』の翁丸とか『地獄変」の猿の良秀とか。