maonima’s diary(大塚ひかりの犬・猫・人・他)

2005年、はてなダイアリーに始まり、今に至る

ひとりクールジャパン活動

今朝の「読売新聞」に『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』の書評が載りました。
唯川恵さん、ありがとうございます!




きょうは母の見舞いに。
食欲だけはあると本人の弁。
いつものように、自分の父親が郵船に勤めてたからニューヨークに一等客船で行って、船旅が楽しかったというような話を、繰り返し話していた。
船の中では毎日のように服を着替え、音楽が催されたり、ピンポンをやったり、飽きない旅だったと。
「ママはお嬢様だったんだね」と言うと、
「その時だけね」と、ぼけているとは思えぬ返答が。
終戦の翌年、ママのパパは死んじゃったんだもんね。そのあとは大変だったね」と言うと、
「そうでもなかったけどね。子供だったし」
「お婆ちゃんが大変だったろうね」
「うん」
などと話して、帰宅する。
思えば、小さいころから何万回と繰り返されたこの手の話。
母も、隣に住んでた祖母も伯母も似たような話をたくさんしてた。
いかに一九三〇年代に過ごしたアメリカでの暮らしが素晴らしかったか。
お爺さんが優秀で、生きている頃はいい暮らしをしていたか、当時、郵船広しと雖も英語で冗談が言えるのは、お爺さんだけだった、と、
時には英語を交えて話していた。
こういう環境で、帰国子女でもない人間が自分を保つのがどんなに大変なものか、分かるのはうちの弟くらいではないだろうか。
和の世界に行くしかなかったんだよね。
子供時代から、私は、「ひとりクールジャパン」活動をやっていたんだ。



同時に、こうした話を聞くたびに、
「ああ今のママや私は落ちぶれたんだなぁ。ママは可哀想だなぁ。うちのパパみたいな甲斐性無しと結婚して。ママがまた昔みたいな暮らしができたらいいのに」
と思ってた。
でも、それは叶わぬ夢だった。



そういえば、新刊の『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』を母に持っていったら、
本の表紙を見ながら、
大塚ひかりって良い名前ねぇ」
と繰り返していた。
(お前が付けた名前だよ)