猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

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東ゆみこさんと

今日の「読売新聞」夕刊に「うしろ向き古典倶楽部」七回目が掲載されてます。
今回取り上げたのは『蜻蛉日記』の、
“わが思ふにはいますこしうちまさりて嘆くらむと思ふに、いまぞ胸はあきたる”(あの女は、私が物思いに沈んでいるより、もう少し余計に嘆いていることだろうと思うと、今こそ胸がすっとした)
ということばです。
ドキッとするけれど、こうしたマイナスの感情を無いものにせず、冷徹に見つめた『蜻蛉日記』の作者の理性と精神力に私は感銘を覚えます。

いじめ自殺のあった岩手の中学校は、いじめの「認知件数」をゼロと報告していたそうです。どんなに恥ずかしいことや都合の悪いことでも、「ある」ものとしてカウントするところから、すべてが始まると思うのです。




今日、九月発売の「芸術新潮」のために、『クソマルの神話学』『大人のための仏教童話』などのご著書のある東ゆみこさんとギリシア神話と日本神話の違いや共通点などについて対談したんですが(ヘラクレスのこととか、不思議な時間感覚の概念とか教えて頂いて、とても刺激的で勉強になって楽しかったです)、
日本神話にしても、ギリシア神話にしても、親が子を食べたり、殺したり、人間界のありとあらゆる、考え得る限りの悪や不道徳が描かれている。
そういうことが人間界には「ある」と認めているという点で、神話は素晴らしいと改めて思いました。
マイナス要素を隠蔽したとしても、いずれはツケを払うことになるのだから、それよりは、人間はほうっておけば、そういう悪事をすることもあるという前提から出発したほうが、対処のしようもあると思います。



クソマルの神話学

クソマルの神話学