医科歯科の先生に勧められて読んだ『マインドフルネス・レクチャー』、とくに面白かったのは呼吸についての記事だった。
p179〜180貝谷久宣「呼吸のはなし」にこんなエピソードが出てくる。筋ジストロフィーの患者は、呼吸器の萎縮が強くなってくると気管切開をして肺に酸素を送り込むわけだが、最近は気管切開をせずに鼻マスクを通じて酸素を送り込むという新療法がなされるようになった。
それで気管切開を受け二年近く寝たきりだった五十代のある患者が、鼻マスクをつけるようになると、
「車椅子で活発な活動が可能となり、新しいことに再び取り組むことができるようになって人生が一変した」
という。
貝谷氏曰く、
「鼻から息を吸い大気と交わることにヒトの命を活発にさせる作用があるのではないだろうか」と。
呼吸の重要さはよく説かれるところだが、鼻から吸って吐くというのは単に生命を維持させているのみならず、「生きる原動力」であり、それ以上に「精神的なそして霊的な意味合いも持っている」という。
そういえば、視覚が失われると、人は大変なストレスを受けるが、年月と共に苦痛は緩和されていく、しかし嗅覚が失われると、それによるストレスや不幸感は年月と共に緩和されない、といったことを以前なにかの本で読んだことがある。
私の母が2003年、脳出血で倒れる前、しきりと「においがしない」と言っていたことも思い出す。
近所の柴犬も、白内障で目が見えなくなったというのに、嗅覚によって以前とほとんど変わらぬ暮らしをしていると聞いた。
これは犬だからそうなのだが、ヒトにとっても「鼻の感覚」というのは、想像以上に暮らしの満足感や幸福感、やる気に一役買っているのではないか。
そんなふうに思った。