『吾妻鏡』によれば、承久の乱後、後鳥羽院が流される途次、出雲で、
“しるらめや憂きめをみをの浦千鳥鳴々しほる袖のけしきを”
って詠んでて、やっぱ千鳥って、哀しみのこもった鳥なんだなと改めて思う。
『古事記』でヤマトタケルの魂が千鳥になって磯を伝った、そういう哀しみのイメージが千鳥にはあると、町田康さんのラジオに出演した時、話したけれど、改めて、ことばのイメージについて考えさせられる。
30年位前、佐藤雅彦さんがイメージで読み書きできないかとか言ってたけど、多かれ少なかれこういうことばの持つイメージを踏まえて読み書きしているわけだよね。
とりわけそうしたイメージの宝庫が古典文学であり、古都であるわけだ。
古い都、古い土地では、ちょっとした風景にも、歴史の深みというのがにじみ出るようなところがあって、こういう古都やら古典文学やらの使い手が、優れた書き手になるわけなのだろう。
きょうは中高の同窓会。
何十年ぶりに会う人もいて、あの頃の話をまたしたりして笑い、すっかり忘れていたことにも笑い、楽しかった。
気づいたら六時間も経っていて驚いた。
帰宅後、頭痛。赤ワインのせい。たった一杯なのに。