虐待がなんで増えてるかって、子は親の所有物ではないという観念や、虐待の意識が高まって通報が増えたからだろう。昔(1960年代~70年代)は小学校の先生が並ばせてビンタとか、家でも外に出されて泣いてる子とか、夕ご飯抜きとか、ふつうにあった。
まして、江戸時代なんかの虐待は今から見ればすさまじいものがあって、叩くとか恫喝くらいのことでは虐待とは言えない。
こういうひどかった昔の実態については拙著『本当はひどかった昔の日本』を参照していただくとして……。
本当はひどかった昔の日本: 古典文学で知るしたたかな日本人 (新潮文庫)
- 作者: 大塚ひかり
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2016/08/27
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (3件) を見る
なにも江戸時代に遡らずとも、私の子供時代のドラマなんかでは、帰りの遅い娘を父親が殴るシーンとかふつーにあった。
なので最近の傾向はいいことなんだが、栗原勇一郎レベルになると間違いなく治療の対象だから、とにかく引き離すしかなかった。
栗原も親に虐待されて育ったであろうから、もうそういう価値観になってしまっているのだ。子は親とおんなじ価値観であるべし、親に口答えするな、という価値観に。
そういう意味で偉かったのは、徳川慶喜の母の吉子だ。
彼女は慶喜が一橋当主時代、父親(斉昭。水戸藩主。当時は藩主は引退していたものの、幕政に関与していた)と言い争いになり、とうとうけんかになった時、
「刑部卿(慶喜)の言っていることが理があります。あなたが間違っているのですから、謝ってくださるべきでしょう」
と言った。この一言で斉昭は慶喜の言うことを受け入れたという(岩尾光代「維新をめぐる閨脈の絆」『日本の肖像』第三巻所収)……詳細は、まだ先ですが、「波」で連載中の『女系図でみる日本争乱史』の最終回で書く予定なのでそちらをごらんください……
慶喜はいろいろ言われがちだが、この宮家出身の母親とか、関わった女性(直子女王など)を思うと、プラスの感情がわいてくる。