きょうは即位式。
NHKで所功先生が「前近代は中国を手本に、明治以降は欧米を意識して変化してきている」とおっしゃってたのが心に残った。
そうやって柔軟に変化してきたからこそ生き延びてきたんだよな。
本当に長く続く伝統って実は先進的だしラディカルなんだ(ラディカルって根源的という意味もあるんですよね)。
一方アベさんは幻想の伝統を追い求めているんだな……などと思ったりした。
即位式というとどうしても思い出してしまうのは花山天皇と馬内侍。
『江談抄』第一の二によれば、花山天皇は即位の日、“大極殿の高座(高御座)”の上で、鼓や鉦で知らされる刻限の合図の前に、“馬内侍を犯さしめ給ふ”ため、玉の装身具と冠が揺れて鈴の音が鳴った。それに驚いた弁官の藤原惟成は“鈴の奏”と称して、叙位の申文を持参した。
要するにセックスの振動で鳴った天皇の装身具の鈴の音を合図に儀式を始めようとしたところ、天皇は手で惟成を“帰さしめ給ふ”ため、惟成は意のままに叙位を行った、と。
花山天皇は、『大鏡』に冷泉院の狂いより花山院の狂いのほうが“術なけれ”(始末に負えない)と言われている人でもあり、なにかと天才肌だったようだ。
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天皇家も、継体、安閑、宣化などは前王朝の娘たちと婚姻を重ねることで、血をつなぎ、基盤をしっかりさせたということは有名です。↓