「ハルメク」12月号に「スキャンダルで読む百人一首」載ってます。
36回目の今回は清少納言の曾祖父清原深養父。彼の詠んだ“谷には春も”は『源氏物語』の女三の宮がつぶやいて源氏が失望したことで有名ですが、元歌の詠まれた状況は女三の宮のそれにも増してえぐいのです。
深養父が元歌を詠んだ状況は詞書によれば、
“時なりける人の、にはかに時なくなりて歎くを見て、みづからの歎きもなく喜びもなきことを思ひてよめる”……時流に乗って栄えていた人が急に権勢をなくして嘆くのを見て、自分が歎きもなく喜びもないことを思って詠む……って凄くないですか?
こんな歌を、亡き紫の上が愛した花が例年以上に美しく咲いている、としみじみしている源氏に対して、引用した女三の宮も凄い。
「もとよりあなたに愛されたことのない私は悲しみも喜びも無縁、花が咲こうが散ろうが知ったこっちゃない」
ってことですから。ちなみに元歌は、
“光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散る物思もなし”
皇女の身でこんな歌を引用してしまう。
させてしまう紫式部。
しかし皇女だからこそ、ここまでえぐい歌、人の死を悼む男に対して、“物思ひもなし”と言い放つことができたとも言える。
それにしても深養父は誰を想定してこの歌を詠んだのか。まさか本人にぶつけることはなかったでしょうが、この歌、『古今和歌集』に撰ばれているので、本人がもしその時生きていたら……。深養父、恐るべし、です。『古今和歌集』の序に、歌は“猛きもののふの心をも慰むる”とあるけれど、歌は時に人の心を刺す破壊力があることを、この歌に感じます。
↓巻頭の佐藤愛子さんのインタビューにもびっくりしました。
96歳!!
それで可愛いし、若い!!
美容法知りたい。
「しゃかりきになって働くだけ」と言われそうだが。