園芸的なことが実は大好きな私、
狭いベランダで、食べ終えた三つ葉、セリ、小ネギ等の根っこを植えて育てては、ちょこちょこ食べています。
とくに三つ葉など、彩りにちょっと使いたい時に重宝してます。
もっと敷地があれば、ほんとはナスとかトマトなんかも育てたい。
死んだ祖母は白楽で、ナス、トマト、胡瓜なんかを植えて育てていたものだし、庭には柿や枇杷、栗なんかもあって、おやつにはそれを食べたりしてたっけ。梅の木も五、六本あって、梅の実は父が梅酒にしていました。
シソなどは雑草的な感じで生えていました。
こういうご時世になると、ますます自分で食べ物を育てたくなってきます。
だからせめて狭いスペースで、簡単なものを育てているのです。
ほかにも、パセリは種を買って育てています。
Nスタ見てたら、倉持仁氏という医者が「検査は最初にやんなきゃいけなかった」と強く主張していた。検査に誤差が含まれることは医師は前提として分かっている、その上で検査は初期段階に徹底してやらなければ意味がなかった、と。
やっぱそうだったんじゃん!
ふつうに考えても、検査で陽性になれば身の振り方を気をつけるよね。逆に言えばそうでないなら、出歩くと。
徹底的な検査で成功した台湾や韓国やドイツ。
それを、初期から検査意味ないとか言ってたM中R子とか、ほんと御用医者だわなぁ。
原発の時もそうだし、経済の今後についてもそうだったけど、専門家と称する人の意見は、危機管理的な観点からすると驚くほど当てにならない(*1)。素人の動物的直感のほうがよっぽど当てになったりする。という良い例ではないか。
TVのコメンテーターなんかもいい加減な人は多いけど、初期段階からずっと「検査しなければ、始まらない」と言ってた人も多かったよね。
*1↓ツイッターで見つけた。
動物なのに、いつまでも閉じこもってたら、どうなんだろう。
コロナで死ぬより、閉じこもってたり、娯楽をうしなうことによるストレスによってメンタルやられて、関連死する人が多そうだ。
命ないがしろにして、オリンピックやろうとしてた小池さんが「命を守るため」とかよく言うよ……とか、テレビみてると、腹の立つことが多くて困る。