ツイッターにも書いたんだけど、
我慢て言葉、昔は「うぬぼれ」を意味してたんだよね。
自分が絶対に正しいと思い上がる心。
たとえば『太平記』巻第二十五の護良親王の怨霊たちが仁和寺の六本杉の梢に集まるシーンにある。
“我慢心深く”とか“我慢・邪慢の小天狗ども”とか。
こういうふうに今とはまったく意味が違うことばってけっこうある。
“なまめかし”とか。
これって今は熟女的な人の色っぽさを言うことが多いけども、
もともとは、生<なま>のみずみずしさ、若い人の優美な美しさを表すことばだったんだよね。
『源氏物語』の主人公の光源氏が、六歳の幼いころからすでに“なまめかしう”といった使い方。
あとは、一所懸命ということばも、ときどき一生懸命と訂正されることがあるけど、もとは武士が、一所を懸命に守るところからできたことばだから、一所が正しい。って、これはちょっと上の二つの例とは違うけどね。