気づいたら六月。
シバが死んでから来月七月九日で一年になる。
一時期、柴犬の写真も見れないくらいだったのに、気づいてみたら、柴犬の写真に見入っていたりする。
とはいえ、シバの写真はいまだ可哀想で、長くはみれない。
ああしていればこうしていればという悔いが多いのだ。
(今年の一月に死んだ猫のポロに関してはそういうのがない)。
何はともあれ、ここまで気持ちが落ち着いたのは、こまちゃんのおかげであろう。
“思しまぎるとはなけれど、おのづから御心うつろひて、こよなう思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり”
と。
これは、桐壺更衣を失った桐壺帝が、藤壺を得た時の気持ちである。
桐壺更衣を失った悲しみが紛れるわけではないものの、しぜんと気持ちは新しい女に移ろって、格段に思いが慰められるようであるのも“あはれ”……しみじみと胸を打つものがある、というのだ。
これ前にも書いた気がするけど、
そんな気持ちなのだ今も。
すっかりうちの猫になったこまちゃん