母が死んでしばらく経つと、いかに母が自分本位に子に接していたか、
子の独立心を養うというような観点はまるでなく、
毒になる親であったか、
子を守るというようなこともあまり考えていなかったのだ、
というようなことが明らかになってくる。
私が心を病んで、にっちもさっちもいかなくなって、毎日のように母に電話をしていた時には、「いっそ死んでくれたら」と母が言っていると、バカ正直な父が私に漏らしてしまったこともある。
母は、何にせよマイナス思考の人で、私が子育てでパニックになっていた時などは、ほんの一瞬のことであるにもかかわらず、
「子どもを生んだのは間違いだったわね」
と、決めつけた。
今思うと、
「母は結局、子どもの身になって考えるということができない人だったのだ」
と痛感する。
とくに娘の私のことは、自分と同一視しているというか、付属物のように思っていたのか、何を言っても構わない、傷つかないと思っていたふしがある。
一方で、長年過ごしていただけに、当然ながら、ふと、たまらなく恋しい思いが湧いてくることもある。
親子というのは悪いことばかりではない。
今でも無性に母に電話したくなる折々がある。
しかし、もう子が大人になったら、他人でいいのではないか。とも思う。
死に場所を探して旅をしていた……。
そんなことばに癒やされる。