猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

複雑な思い

母が死んでしばらく経つと、いかに母が自分本位に子に接していたか、

子の独立心を養うというような観点はまるでなく、

毒になる親であったか、

子を守るというようなこともあまり考えていなかったのだ、

というようなことが明らかになってくる。

 

 

私が心を病んで、にっちもさっちもいかなくなって、毎日のように母に電話をしていた時には、「いっそ死んでくれたら」と母が言っていると、バカ正直な父が私に漏らしてしまったこともある。

 

母は、何にせよマイナス思考の人で、私が子育てでパニックになっていた時などは、ほんの一瞬のことであるにもかかわらず、

「子どもを生んだのは間違いだったわね」

と、決めつけた。

 

 

 

 

今思うと、

「母は結局、子どもの身になって考えるということができない人だったのだ」

と痛感する。

とくに娘の私のことは、自分と同一視しているというか、付属物のように思っていたのか、何を言っても構わない、傷つかないと思っていたふしがある。

 

 

一方で、長年過ごしていただけに、当然ながら、ふと、たまらなく恋しい思いが湧いてくることもある。

親子というのは悪いことばかりではない。

今でも無性に母に電話したくなる折々がある。

しかし、もう子が大人になったら、他人でいいのではないか。とも思う。

 

 

 

 

 

死に場所を探して旅をしていた……。

そんなことばに癒やされる。