だなと最近つくづく思う。
私は未熟者なので、この年になって、聡明な人なら、二十代や三十代でわかっているようなことが、やっとわかってきた。
いちばん大事なのはコミュニケーションなんだって。
こういうと本当に陳腐なんだけど、それが実感。
もちろんコミュニケーションを避けたい人たちもいる。
精神的に疲弊するだけの人たちも。
しかしそういう人たちにかぎって、遠くに住んでいても、血のつながりなどで関わりが避けられなかったりするものだ。
それで消耗したエネルギーを回復させるためにも、またそこで不必要に疲弊しないためにも、気の合う、付き合って気持ちの良い近くの人たちとの関係を大切にしていきたいと切に思う。
神は見ているというが、その神とは近くの人たち……近くの心優しい他人のことなのではないかと最近思うことしきりだ。
母が死んだ時、母の親友だったおばちゃん(と言うてももう90才前後)が、
「あなたのママは、あなたの小さいころ、ひかりはほんとに気が小さくて困ると言ってた」と、何かの拍子に言っていた。
そう。基本的に私は気が小さいのだ。
わずかな物音にもビクッとする小動物のように、絶えずビクビク生きているんだと思う。
不安神経症である。
そうした臆病な性格だから、色々と調べる癖があり、それがものを書く際にも役立っているのだろう。
もろ刃の剣というが、それが私に役立ちもして、私を苦しめもしてきたと思う。
原因は遺伝とか環境とか色々あるだろう。
あと、最近、強く思うのは男尊女卑の弊害だ。
私の親世代はまだまだそれが根強い。
女の子なんだから、と何度言われたことか。
こうしたすべてが、「修業」のような日々と一つながりなのだと思う。



