maonima’s diary(大塚ひかりの犬・猫・人・他)

2005年、はてなダイアリーに始まり、今に至る

『ドキュメント 道迷い遭難』

いまちょっと私事で心配事があって、かつ、集中しなければいけないことがあったりして、生きるってつらい……などと思ったり、いや、私ていどはどうってことないのかもしれない、視点を変えてみようじゃないかと思ったりしながら、いつものようにあがいているのだが、

そんな中、以前、熊野に一緒に行った友達(って呼んでいいですよね? Oさん)が面白かったと言ってた本を読んでいる。↓

 

ドキュメント 道迷い遭難 (ヤマケイ文庫)

ドキュメント 道迷い遭難 (ヤマケイ文庫)

 

 

 

たしかに面白い。

これはぐいぐいくる。まだはじめのほうだが、

タイトル通り、複数の遭難のドキュメントなんだが、

「思わぬ窮地に陥ったとき、えてして人は突飛な行動をとる。そしてその結果は、たいてい凶と出る」

って、万事に言えることではないか。

窮地に陥った時、とるべき選択は「動かないこと」もしくは「もときた道を引き返すこと」だが、パニックの時はその判断ができない。

 

そして自力で脱出を試み、山から逃れるために下へ下へと降りようとして失敗する。

同じ動くならむしろ頂上を目指したほうが、捜索隊にも発見されやすいらしい。

 山の裾野への道は無数にあってどんどん広がっているのでドツボにはまりやすいけれど、頂上への道は複数あるにしても、裙野へ降りるよりは圧倒的に少ないというのもある。

 

山にも登っていないのに、道に迷ってばかりの私には、ためになることばかりの本だ。

 

 

 

動物(ペット)の対等(平等)意識

犬と猫を飼っているが、犬猫間には、自分たちは同等という意識があるのか。

犬におやつをやると、猫も「くれ」とにじり寄り、

猫におやつをやると、犬も勝手にお座りをして要求する。

これが人間だと、ちょっと違うと思うのか、犬はそこまで反応しない。ただ猫は「くれ」と接近してくるが。

 

狭い乏しい世界でも、自分だけ割をくうのはイヤなのだ。

人間も同じだろう。

よく遺産相続なんかでわずかな資産でもめるのは、なにかしら不平等感があるからに違いない。

 

犬と猫も与えるおやつやエサは違っている。違っているが、一緒にありつけるというのが大事なのである。

それぞれの分、貢献度に応じて、ほぼ正当に配分されたという感覚があれば、遺産相続も揉めないのかも。要は納得という陳腐な結論になるわけだが。

 

犬と猫、まったく違う性質のふたりが見せる妙な対等意識に触れるにつけ、そんなことをふと思った。って、この写真見ると、対等意識を抱いても不思議はないですよね。

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関西人と東北人のことば……眠れる獅子? 東北

facebook仲間が紹介してて面白そうだったので読んだ>『ものの言いかた西東』(岩波新書)

 

ものの言いかた西東 (岩波新書)

ものの言いかた西東 (岩波新書)

 

 

こないだ東北行った時、お店の人もタクシーもぶっきらぼうだなと感じたのだけど、この本よんで、なるほど東北の人はなんでも短く言いがちで、ことばに対する考え方が違うことが分かりました。

 

七つの言語的発想法の発達状況からすると東北は「未発達地域」になるそうだが、最近、芥川賞の受賞者って東北人が多いですよね。

未発達ということは定型化も薄く、可能性も大きいということで、実は内面に広がる非言語の世界を、言語化すると、凄くバラエティに富んでて面白いということなのかもしれない。などと思った。

縄文時代、東北は中心地だったわけだし、文学的にも眠れる獅子なのかもしれない……。

 

 

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

 

 

 

送り火

送り火

 

 

 

あと、この本には、関西人は自販機に話しかけたり、犬猫にも丁寧なことばづかいをするってあったが、関西人て、うちの父(梅田生まれ)や死んだ父方祖母などもそうだったが、食べ物に「さん付け」するじゃないですか。

飴ちゃん、おいもさん、お豆さんなどなど。

これも関西人独特の言い方かなと。

 

 

町田康の『スピンク日記』も、そう思うときわめて関西人ぽい発想かなという気がする。夏目漱石の『吾輩は猫である』になくて、『スピンク日記』にあるものなど、いつか考えてみたいものだ。

 

中世の罪と罰

これ、いま書いてる原稿のために読み直してるんだけど、改めて面白い。

買ったのはもう二十代のころ。

 

アマゾンで見たら絶版みたいだけど、これ良い本だから、ちくま文庫とか講談社学術文庫あたりで出したらいいのに。

 

中世の罪と罰

中世の罪と罰

 

 

料理の効能

落ち込んで鬱々とした時、まずしたくなくなるのが家事だ。

中でも料理は、やる気が失せる。

そもそも食欲が減退する。

できあいのどうでもいい、炭水化物系のものしか受け付けなくなるのだ。

 

が、友達が言うには、料理ほど癒やしになることはない、五感を働かせるから……とのことで、言われてみれば、火とか包丁とか危険物を扱う料理ほど、集中を必要とすることはないよな、マインドフルネスってやつか……などと思って、心に浮かんだのが、最近よんで良かった『マインドフルネス・レクチャー』の流れで、よんだ玄侑宗久の『流れにまかせて生きる』のことばだった。

ここに、自信の無い人は「まず、自信があるかのような身体状況を先に作ってしまう」とあって、これって万事に言えることだなと。↓

 

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つまり、やる気がない時は、やる気がある時にこそできる料理をあえてやってみるのだ。

そういえば、きょう、やる気がないけど、必要に駆られて料理している時は、少し元気になっていたかもしれない。

形から入るって大事だね。

紫式部も言ってたっけ。

“数ならぬ心に身をばまかせねど 身にしたがふは心なりけり”(『紫式部集』)

ちょっと意味が違うけど、身が心を定めるって意味では同じことだろう。

 

紫式部日記―付・紫式部集

紫式部日記―付・紫式部集

 

 

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田房永子さんの本

田房永子さんの『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』、もの凄くいいです。

田房さんの本よむと、いつも思うんですが、本当に論理的。ある意味、理屈っぽいとも言えるんですけれども、その理屈が実に腑に落ちるように、漫画で描かれている。

 

なぜ自分はこう感じるのか、こんなことをしているのか……という、いちいちの分析が凄くて、だから、漫画で書かれているような「毒親」に育てられても、田房さん自身が毒親になることには歯止めがかかっている。

生半可な理性じゃできませんよ。

 

 

世の中にはA面とB面(人間の力ではどうしようもない自然の面)があるとかも納得ですが、毒だった親たちが田房さんの「機嫌を損ねないようがんばっている」「親が気遣ってくれると」「こんなにラクなんだ」とあるくだり、じーんとしました。

 

思えば私は親に気遣ってもらってこなかったなぁ。息子には気遣っても、娘には言いたい放題だったところがあったと思う。私だけ叩かれたりしましたし。

そういう負の思い出は、年と共に消えるどころか、くっきりしてきます。

自分にストレスを強いる存在からは「離れること」というのが基本ですが、そうもいかない場合は、田房さんの本を読みたいと思います。

 

お母さんみたいな母親にはなりたくないのに
 

 

 

犬のやる気は鼻からくる

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(前記事の続き)

貝谷久宣によればヒトのやる気は鼻を通じた呼吸からきているということで(『マインドフルネス・レクチャー』)、犬のやる気は鼻からくるのは当然だが、ヒトもそうだったのかとはっとした。

 

認知症にはアロマセラピーがいいとも聞く。

年と共に鈍くなる嗅覚に活を入れるって大事なことだと思う。

 

一時期、アロマオイルに凝って買い集めていたものだ。いろいろ買ったが、いまは飽きてしまった。たまに使っているのは、

クローブ……いわゆる「丁字」で、疥癬などの予防になる。海外旅行に行く時は、紙などにしみこませたり、少量を持参して、虫除けにしている。

 

ゼラニウム……更年期障害の不調にいいらしい。

 

ティーツリー……免疫力up。

 

ラベンダー……言わずと知れた安眠効果。

 

 

ただどのオイルもけっこうきつくて、かえって鼻水が出ることもある。妊娠中・授乳中の人は要注意という注意書きがあるのもうなづける。

 

マインドフルネス・レクチャー

医科歯科の先生に勧められて読んだ『マインドフルネス・レクチャー』、とくに面白かったのは呼吸についての記事だった。

 

p179〜180貝谷久宣「呼吸のはなし」にこんなエピソードが出てくる。筋ジストロフィーの患者は、呼吸器の萎縮が強くなってくると気管切開をして肺に酸素を送り込むわけだが、最近は気管切開をせずに鼻マスクを通じて酸素を送り込むという新療法がなされるようになった。

それで気管切開を受け二年近く寝たきりだった五十代のある患者が、鼻マスクをつけるようになると、

「車椅子で活発な活動が可能となり、新しいことに再び取り組むことができるようになって人生が一変した」

という。

 

貝谷氏曰く、

「鼻から息を吸い大気と交わることにヒトの命を活発にさせる作用があるのではないだろうか」と。

 

呼吸の重要さはよく説かれるところだが、鼻から吸って吐くというのは単に生命を維持させているのみならず、「生きる原動力」であり、それ以上に「精神的なそして霊的な意味合いも持っている」という。

 

そういえば、視覚が失われると、人は大変なストレスを受けるが、年月と共に苦痛は緩和されていく、しかし嗅覚が失われると、それによるストレスや不幸感は年月と共に緩和されない、といったことを以前なにかの本で読んだことがある。

 

 

私の母が2003年、脳出血で倒れる前、しきりと「においがしない」と言っていたことも思い出す。

近所の柴犬も、白内障で目が見えなくなったというのに、嗅覚によって以前とほとんど変わらぬ暮らしをしていると聞いた。

これは犬だからそうなのだが、ヒトにとっても「鼻の感覚」というのは、想像以上に暮らしの満足感や幸福感、やる気に一役買っているのではないか。

 

そんなふうに思った。

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マインドフルネス・レクチャー―禅と臨床科学を通して考える

マインドフルネス・レクチャー―禅と臨床科学を通して考える

 

 

 

ブログやSNSで助かった話

SNSで助けられたという話は各分野でよく聞く。

私の場合、パソコンがいかれて(今の話ではなく、数年前)、その時は予備のパソコンもなく、入っていた写真がパーになったことがあった。

デジタルでとってると、こういうことがあるので恐ろしい。

でもまぁいいや、死んで持って行けるわけでもないし……などと思っていたところ、そういえばブログ(これの前にやってたはてなダイアリーとか)やフェイスブックに写真をあげていたっけ、と思い出して、見てみたら、けっこう写真があったのでちょっとうれしかった。

今でいえばiCloudに保存するといったところだろうか。

iCloudって、今ひとつ、よく分かっていないんだが……。

 

 

あと困ることといえば、30年くらい昔はワープロ(東芝rupo)で原稿ぽちぽちしていたのだが、フロッピーに入れたデータが見れない。rupoで打ったのが見れるというんでカシオのワープロを買ったが、ずっと昔のは見れなかった。

しかし、それほどのものは入ってないような気がして、まぁいいやと思っている。

 

25年位からパソコンで書くようになって、その時、マンションのお隣で仲良くしていたライターの土本亜理子さんがMacなら教えてあげられる、というので、Macにして以来、ずーっとMacであるわけだが、この時の日本語ソフトがEGwordだった。

これで書いたものが今読めない。

しかしこれもまた、まぁいいかなという感じになってしまっている。

 

 

 

で、その後は今に至るまでATOKを入れているわけだが、

Macにもともと入っているpagesというのが便利なようで厄介で、バージョンの違うosなんかだと(ほかのMacだと)、読めなかったりするのだ。

それで今はシンプルテキストで書いて、字数はpagesで計算しているという感じである。

シンプルテキストでも字数計算できる方法がネットに載っているが、ただでさえ不安定なパソコンなので、現状維持である。

 

 

それはそうと今、町田康の『スピンク日記』というのをトイレの友にして読んでいるのだが、面白い。スピンクによれば、町田さんのオーラは犬で、前世は白い柴犬とスピッツのミックスで、ずいぶん可愛がられていたという。「可愛がられていた」という自己認識(犬から見てるわけだから違うか)が肯定的でうらやましいというか、何とも言えない気持ちになる。

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防災用品

おばあちゃん子だった私であるが、母方祖母がよく話していたのは関東大震災のことだ。

震災が起きた時、祖母は薬剤師として病院勤めしていた(横須賀か東京で)。

祖母の父親(以下、曾祖父)は東京ガスの技師で、ガスを引くため、祖母は小学校六年間で五回も引っ越ししたという。

震災当時、曾祖父がどこに住んでいたかは失念したが、たぶん関西だったのだろう。被災した娘(祖母)を心配し、お金や物資を持って列車に乗り込んだところ、途中、強盗にあって殺されたか、祖母曰く大井川に振り落とされて死んでしまったのだとか。

実際、除籍謄本をとってみても、祖母をはじめとする人たちには、死亡を意味する×印がついている中、明治八年生まれの曾祖父だけは×がない。

歯医者に嫁いでいた祖母の姉は、外に逃げようとしたら、落ちてきた瓦が直撃し、死んでしまったこともあって、曾祖父としては祖母にまで死なれては……と不安がつのって、まだどさくさしている中、列車に乗って死んでしまったのだから、なんとも悲しいことだ。

 

 

そんなわけで、祖母は震災のことは1930年代に夫(彼も終戦の翌1946年、ボルネオで死去)の仕事で住んでいたニューヨークの話の次によくしていて、とにかく震災後困るのは水と履き物だから、風呂には水をためておけ、枕元に運動靴を置いておけ、と言っていた。

だから、風呂に水を常時ためることだけはずっとやっている。

 

 

あと、庭で排泄できるような広い庭のある家ならともかく、うちは家でするしかないので、これも随分前に買った↓ 

BOSのうんち袋は犬猫にも使用してるけど臭いが全く外に漏れないのが凄い。

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それから、これは、手回しだけでなく、電池でも使えるのがいいと思った。スマホの充電とラジオが聞ければとりあえずいいかなと。通販生活にも売っていた。EC0-5のほうは、手回しだけなので、こっちにした。

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その他、ビスコが好きなので、これもずいぶん前に買ってある。五年くらいもつのかな。食料に関しては水のほかは、日持ちする好物を買っとけばいいのではないだろうか。

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