来月の新刊の書影出ました。
オビは、トラウマがあるので、神経質になってしまいますね。
もちろんオビっていうのは版元が考えています。
ちなみに私が考えたオビは、
「不幸になるのは自己責任……
嫉妬と誹謗中傷の渦巻く階級地獄で、
活路を見出した紫式部のたくらみとは。」
とかです。
「青春と読書」連載時から愛読していた姫野カオルコさんの『顔面放談』、姫野さんの骨格へのこだわりとか、「きれい・好き・うらやむ・なりたい、四種の顔」とか、とっても面白かった記憶。
映画もいっぱい出てきて、映画そんなに見ない私としては、見たいという欲望がたきつけられます。
挿絵もいいんです(挿絵かいたマンガ家の人と姫野さんの対談が、「青春と読書」に載っててこれも面白かった)。
改めてまた読む!
朧谷寿さんの『平安京の四百年ーー王朝社会の光と陰』、こちらは9/30売りなので、これからですね。
って、文字打ち込んで気づいたのですが、光と影じゃなくて、光と陰なんですね。
まだ読んでないけど、「『源氏物語』の背後の地獄」とか、小見出しがいいです。
そして図版がとてもたくさん! 国宝『源氏物語絵巻』からも二点! 徳川美術館て、絵を借りるのがとても高額で有名だけど、凄い太っ腹本!
読むの楽しみ。
これは出版社の人から頂きました、黒澤はゆまさんの『世界史の中のヤバい女たち』。
「ヤバい」って聞くと、動悸が……って嘘ですが、「アステカ王国を滅ぼした女」とか「男を犯して子をなす」とか、章タイトル見ているだけで、面白そうです。
色々一段落したら、読みたい本ばかり。
本は、カラダを動かさなくても読めるから良いです(膝の痛みも、新たに漢方のみはじめたら、少し和らいできた感じ。長く歩くとまだ痛いですが、近くのスーパーくらいなら、杖つきながら、出かけられるようになりました)
六月下旬の目の手術、
それ以前からあった膝の悪化と、せっかく安静にして痛みだけは取れていたのに、リハビリに通った整形外科での理学療法士に「ここ痛いですか?」と言われて、ぐいーーと押されて以来の激痛やら、
その合間の夫のコロナ罹患(私は感染せず)、
その他仕事等々で、
メールの返信とかも、緊急性のあるもの以外、していないし、
頂いた本も、仕事関係以外のもの以外は読んでいなくて、
まじで、不義理をしています。
とくに膝の悪化がメンタル的にきつい。
三年前の半月板損傷に加え、変形性関節症にもなっていた。
右膝を曲げるとお皿の上がぱんぱんに腫れてて、
水もたまってる風なのだが(理学療法士は水ではないと言ってぐいぐい押したりしてくれたけど、かえって痛くなったし、水だと思う)、
行く整形外科もなくて、
というか、今さら探すのもめんどくて、
ひたすら、今まで教えてもらったゆるいストレッチとか、アイシングとか(一方では温め)、
工夫しながら過ごしてます。
なにより来年の大河が紫式部だったりするので、
それ関連の、タイムリミットのある仕事が大小いくつかあって、
それはメンタル的には救いでもあるんですが、
色々余裕のない状態です。
うう、言い訳ばかりだ。
要は体力・気力がなくなっているんです。
今朝は、てっきり死んだとばかり思い込んでいた人の生存を知り、
思いがけず浮き立つ気持ちになった。
じゃあまたその人に会いたいかというと、そういうんじゃないのだが、若いころの一瞬、時間を共にしたことのある、もう絶対に死んでいると信じて疑わなかった人が、生きていたというのは、サプライズというか、どっこい生きてるというか、嬉しいとか喜ばしいというよりも、命のしぶとさを思い知らされて、自分も励まされるようなそんな不思議な感覚であることを知った。
死んだと思ってた小憎らしい戦友のような、必ずしもいい思い出ばかりじゃなく、むしろイヤなことも多かったというような奴で、自分的にはもう会いたくないような、しかし思い出深いような存在が生きていたと分かると、そういう気持ちになるのか。
命を言祝ぎたいような、そんな気持ちに。
死んだはずだよお富さん〜〜
実は8/1から、膝のリハビリしているのですが、行くたびに膝が痛くなって、今は家の中でもサポーターつけなくては歩けなくなってて、寝る時もどんな姿勢をしていても痛くて、大変な状態。
どこもかしこも、どんな姿勢をしていても、右膝を中心として、足腰、背中、首まで痛くて、ロコアテープなどの強力な湿布をしても治らず、憂鬱で、脂汗が出ています。
そこの病院、リハビリはいいんですが、理学療法士が、膝を極限まで曲げた上で、色々押してくるのが痛くて、初回、一気に痛くなりました。
二回目、それを言うと、やはり寝かされた状態で、膝を極限まで曲げられ、膝の上や下を押し、
「ここは痛いですか? ここは?」
と言われ、膝は長いこと麻痺しているので、その時は大して痛くないんですが、その後、どんどん痛くなって、今は腰も背中も痛くて、歩けない状態。
三年前、半月板損傷し、杖の暮らしをしていたのが、少しずつ良くなってサポーターつければ外出も全然オッケーだったところが、今年の五月、ちょっと近所に行くのに、サポーターつけ忘れて歩いていたら、かくっとなって、そこから徐々にまた悪化して、六月に整形外科でMRIとると、やっぱり「内側半月板水平断裂」。まぁ三年前と同じです。治りゃしませんよね半月板は。
それですぐリハビリするよう言われたものの、六月下旬、目の手術があり、安静にしているうちに、痛みがなくなっていたのです。
私もそこでやめておけばいいのに、目が落ち着いてきたので、8/1に律儀にもその病院の関連医院に行くと、すぐリハビリに回され、行くたび悪化してしまいました。
そこは若い人が多く、スポーツ中心の感じ。「治ったら何をしたいですか?」とかも聞かれ、「自転車」というと、競技用の自転車的に受け取られたので、ママチャリと答えて。そんなんで、二回目は、
「私はもう現状維持できて、寝たきりにさえならなければいいんです。大きな目標はありません」
と言ったのでしたが。
リハビリはためになりましたが、
行く前は、しびれや麻痺感、違和感、曲げにくい、重い、歩きにくいなどはあっても、痛みはふつうにしていたらなくなっていたから、律儀に行くことなんてなかった。
一箇所痛いと、そこをかばうせいか、あちこち痛くなって本当に憂鬱……。
仕事は座ってしているからいいようだけれど、座っていても痛い。
かといってもうその病院は行きたくないし、ほかも行きたくない。
痛い時は、手術しないのであれば、ひたすら安静にしているしかないので、八月は安静にして、なんとかやり過ごしたいです。
しかし安静にしてれば痛みは取れても、筋力は低下するばかりなので、ある程度痛みが取れたら、教えてもらったリハビリに励みたいです。
ふだんは古典文学と漫画、ドキュメンタリー、必要に応じて研究書ばかりで、小説はよほどのことがなければ読まない(読む気にならない)私が、これはどうしても読みたいと思って注文。
著者が作中でなるほどと思わせる批判を展開している「紙の本」の届くのを待って、きのうやっと届いたら、もう一気読み。
なんというか、古典文学や漫画並みに面白い。
ラストは一瞬よく分からなかったが、もう一度冒頭から読み返したら、ああっとなった。
このラストがなかったら、ずっと薄っぺらな物語になってしまったであろうというほど、このラストがあるからこそ、小説の余韻が半端ない。
届いた時、本の薄さを見て、これでこの値段と思ったが、そんなことはなかった。買って良かった。
しかし、こういう本よむと、やはり、その作者の置かれた環境と作品というのは、絶対切り離せないものなのだと痛感する。
作品と作者をあまり結びつけることに関しては、古典文学でも昔から批判のあったところだが、私は一貫して結びつけて考えてきた。
とくに『源氏物語』は、結びつけて考えざるを得ないところが多すぎるので。
きのう眼科に行ってきた。
経過は順調。
左目の端に三日月的なレンズの端のような影が見えること、うんと暗い所やうんと明るい所では見えないこと、何かに夢中になっていると見えないことなど話したところ、
こういう現象はそう珍しいことではないそうで、
「光学的不快現象」
というのだそうだ。
しばらくすると気にならなくなるらしく、術後一月くらいだと「まだまだ」なのだそうだ。
見えていても見えなくなる、あっても脳が無視してくれるというわけらしい。
あっても、別にいいものなのだ……と受け入れて、そのまま暮らしていくしかないらしい。
逆に気にすると、いけないらしい。
(検索すると、再手術なんてことばも出てくるけど、再手術はリスクが高く、しても元の視力を保持できるとも限らず、チン小帯が切れることなどもあるみたいで、よほどのことじゃない限り、しないほうがいいと思った。私の場合メガネかければ気にならないし、何よりよく見えてるわけだから)
何にせよ、決して珍しい症状ではないということが分かっただけでも、ホッとした。
それから、もともとあったドライアイ、ジクアス→ヒアルロン酸に変わったけど、今一つと言ったら、ムコスタ点眼薬が出た。
胃を保護するムコスタと同じで、粘膜を保護するとか。
白い液体なので、さしたあと、視界がしばらく白くなるのと、液体が苦いのが特徴だけど、私はわりと好きかももしれない。
にしても……札幌の事件、とても気になります。
目の手術して三週間以上経った。
近くはよく見え、遠くはぼやけるものの、手術前よりは全然まし。
裸眼で見えるものが多い上、なにより急性緑内障の危険がなくなったため、たいていの薬がのめるようになったのが、嬉しい。
しかし、新しい視力に馴れてないせいか、疲れるのと、
左目に一貫してゴロゴロ感がある。これはよくあることらしい。
気になるのは、この左目の端に、三日月状のレンズの端のような影が見えること。
メガネかけてる時はメガネの縁のせいか、気にならないけど、裸眼の時や、とくに起き抜けに凄く見えて、気になる。
検索すると、そういこともあるようだし、かかりつけの眼科も、あり得るという話であった。
数ヶ月経てば気にならなくなる人が多いようだが、数%の人は気になり続け、最悪、再手術とかもあるようだが、必ずしもそれで視力が出る保証もないし、必ず治る保証もないみたい。
多焦点で出やすいが、私のように保険の効く単焦点でも、レンズの種類によって、出るようだ。
7/10売り「ハルメク」8月号に「スキャンダルで読む百人一首」80回目載ってます。今回は崇徳院の母・璋子に仕えていた待賢門院堀川。堀川は西行とも交流があり、西行の私家集やそれに類する『山家集』には複数の贈答歌が残されています。
目の手術して、色々と裸眼で見えるようになった上、閉塞隅角でも、眼内レンズにしたため(水晶体よりずっと薄い)、眼圧が上がったとしても急性緑内障の危険がなくなったのが安心だ。
また、精神薬、アレルギーの薬、ニトログリセリンなど、ほとんどの薬が禁忌だったのが、のめるようになったのが嬉しい。
しかしまだこの新しい視力に馴れていないため、目が凄く疲れやすくなってて、あんまし酷使はできない。
保険の効く単焦点レンズのため、中間は見えるが、凄い細かな文字は軽い老眼鏡、遠くは軽い近視のメガネで対応する。
パソコンなんかはほぼ見えるか、弱い近視の眼鏡がほしい感じ。
手元の資料は一度とか一・五くらいの弱い老眼鏡を使う。
老眼鏡はともかく、近視の眼鏡というのがないのが不便と言えば不便。
しかも人生初の近視なわけだから。
とはいえ、以前と比べると格段に見えている。
ありがちなことだが、自分のシミやシワが見えすぎる。
あと、これもありがちらしいが、眼瞼下垂が進んだ感じがする。
視力が安定するのは一月以上経ってからなので、メガネはまだつくってないが、早く作りたい。