2007-11-01から1ヶ月間の記事一覧
中高時代、美術部で一緒だった旧姓T山さんに八年ぶりに電話。 「あたしもぴっかりちゃんに電話しようと思って、こないだ同窓会の幹事に電話番号、聞いた所だったんだ」とすこぶる元気な声なので、 「元気だね」と言うと、 「悩みないもん」と、きっぱり。 「…
日本にはSSRIは三種ある。認可された順にルボックス(デプロメールも中身は同じ)、パキシル、ジェイゾロフトだ。 八年前はルボックス1日25mgを一年以上、四年前はパキシル一日10mgを一ヶ月くらいのんだ。 ルボックスは初めの一週間、嘔吐と鬱、視力低下で辛い…
催馬楽っていうと、うちの子は「西原理恵子」を思い浮かべるようだが、『源氏物語』に良く出てくる催馬楽の囃子詞がどういうものか、考えているうちに、ピンときて今年は遠山の霜月祭に行くことにした(行けないかもだが)。 その起源は鎌倉時代といわれるが、…
(写真は祖母筆「分析ラッパ節」) うちのおばあちゃんは私のドリンク剤みたいなもんだなぁ。元気付けの。実際、おばあちゃんのことを思うと元気が出てくるんだから、面白いなぁ。もう十一年前に死んだのに。
霊なんて当たり前だが、ない。ただ、虫の知らせというのがあると思うのは、十五年前のこと、いとこが死ぬ数時間前、ふだんは決してみないいとこの夢を私が見たからだ。私は死んだ白楽の祖母(当時はまだ八十九歳で生存中)の家で寝ていた。祖母はアラジンの石…
1やっぱ小野繁先生 1999年四月、医科歯科の頭頚部心療内科を開設。私が診てもらったのは1999年十月で、開設半年目。歯科心身症という言葉がまだ普及していなかった当時(今もさほど普及しているとはいえないが、医療機関では普及しているようだ)、開設したて…
「小西克哉に会うんだ。英語のうまい人」と夫に言ったら、 「小西克哉なら、十年くらい前、●●の●●でよく見たよ。って言っといて。もう六十過ぎてるんじゃない?」と言うので、そんな年だったかなぁと思いつつ、「うん」と答えて、本人に会ったら、六十過ぎと…
http://ameblo.jp/kyupin/(精神科医のブログ) 時々、えっ?と疑問に思うようなオカルトな記事もあるのだが、それはこの人が本来もっている資質と関連しているようだ。 ここのところ体調を崩して大変だったが、『源氏』訳は総角までいった。とにかくあともう一…
『源氏物語』の話をしている私がいるだろう。というのも今日、収録だったから。 司会の方にも、あらかじめ『源氏の男はみんなサイテー』を読んで頂くよう頼んでいたので、やりやすかった。同時につくづく相手によりけりなのだと痛感。とくに私は相手の人がよ…
「面痩せの美」についてなら、私が『「源氏物語」の身体測定』(1994)や、それを大幅に加筆修正した『「ブス論」で読む源氏物語』(2000)でもたくさん書いているので、ぜひ参照にしてほしかったな。 コメント欄に書きたかったが、コメントの返事をする余裕がな…
昨日、美容院で聞いた話だが、漫画家の里中満智子が関節痛に悩んで、いろいろ調べた結果、蟻がいいと知って、蟻の粉末をのんで以来、治ったのだとか。 なるほど「蟻 里中満智子」と入れてネットで調べてみると、当の商品も出てくる。 昆虫というのは生物の中…
「シバ、散歩」 と道路側から促すと、門扉の中にいるシバはいったん私の顔を「ちょっと待ってて」という面持ちで見てから、奥に行く。水を飲みに行くのである。ちゃぷちゃぷちゃぷちゃぷちゃぷちゃぷちゃぽ。 散歩中、公園にでも寄らなければ水を飲めないこ…
怪談噺の祖は初代林家正蔵(1780〜1842)といわれる。文化年間(1804〜18)、怪談噺を創始したんだって。でも私が言ってるのは、そういう意味の怪談噺じゃなくて、「怪談話」を、皆で集まって夏にするようになったのはいつごろなんだろう、ということだ。 ぱっと…
千年前の日付にしてみたら(1007 11 06)、自分でもいちいち日記一覧から入ってかなきゃいけなくなって大変なので断念。新しい日記に上がってこなくて好きなこと書けていいと思ったのだが。 旧暦とか新暦とかややこしいことは無視です。せめてタイトルで千年紀…
これは貝でもいいのだ。魚介類、魚貝類って日本国ギョ大辞典にはある。でも、子供の試験では『魚介類」が正解と書いてあつた。 なんで魚介類は介なんだろう。 介を新字源でしらべると「甲殻、貝殻」「貝の当て字」とか書いてある。当て字ならやっぱ魚貝類に…
ところで額田先生の家に行ったのは五人と書いたが、確認してみたら四人だった。RちゃんとT田さんとT塚さんと私の四人である。額田先生の家で、先生が撮って、焼き増しして私たちに配ってくださった写真をみて気がついた。 なぜ五人などと勘違いしていたのだ…
額田先生の家になぜ行くことになったのか忘れたが、とにかく正月に同級生と一緒に五人で行くことになったのだ。行くからには手土産が必要だと誰かが言い出して、額田先生の好きそうな和菓子を八個用意した。 額田先生は独身男性で、当時、もう六十代後半くら…
阿比留先生は国語の先生だった。 対馬の宗氏の前に、対馬を治めていた一族の直系の末裔と称していただけあって、色白のとても品のいい、いかにも殿様然とした先生だった。この先生はなぜかZ会の国語の添削のアルバイトもしていて、私は当時、「重太郎」とい…