猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

祖母

はじめて気に入ったマグカップ

今まで私はほとんど食器にこだわりはなく、もらった引き出物の食器、何かの付録のマグ、時折ファンケルでやってるキャンペーンでもらえる皿、その他頂き物などでまかなってました。 買うとしても、千円以下のものばかりで、ご飯茶碗は百円ショップで買ったや…

写真下二枚は1939年の二ユーヨーク万博にきた宝塚。 不評だったとのことで、客席もまばら(右下)。 上は祖父ら。 このところ体調も歯の調子も悪い。 相当深く削った奥歯、冷たいもの熱いものにしみたりするかと思えば、 しかししみない時もあって、また歯茎か…

昨日は母の見舞い。

上海は行ったことは覚えていたが、1932年生まれの母はさすがに廬溝橋事件のことは覚えていなかった。死んだ祖母(1903年生まれ)はよく話していたのだが。 その後、1939年まで、五歳から七歳を過ごしたニューヨークのことは、わずか二年ていどのことなのに今で…

写真は一足先にニューヨークにいる祖父のもとに、秩父丸で行く祖母たち(祖父が社員なので一等船室の皆でこうして甲板で記念写真を撮っているのです。私もこの中にいたかったな……)。 浮き輪を持ってる男の子のが母の兄。一つおいて右が母の姉。その右の小さい…

12月中旬以降は、近所でやってるってんで、これhttp://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/1290572248.pdf#search='宮台真司%20明治大学'の二日目の五限「帝国主義的分割」、子供が好きそうと思って「行く?」と聞くと、「行く」ってんで行ったら、四限が押して、五限はなしに。でも、「電凸」とか「嫌韓厨」(だったけか?)とか、未知の言葉をいろいろ覚えたし、「過記憶」って概念があるんだと知ったり、なにより子供と聴講できたってのが嬉しかった。

そして友達の家のクリスマスパーティにも。 皆、パリとかアメリカでの生活体験のある人たち。 でも日本でそういう体験を話すと、自慢って受け取られたりすることもあって気苦労もあるようだ。だけど、 「名古屋にいた頃は」みたいなノリで、つい「パリでは」…

母方祖母が戦後、夫を亡くした時、入手した借地だった庭は広く、もともと植わっていた栗のほか、枇杷、いちぢく、梨、ぶどうや、父が園芸好きで柿、梅やくこ、サカタのタネで一月ごとにぼけやくちなし、のうぜんかずらといった木草を植えていた。

そうした植物もさることながら、 最近、おおいぬのふぐりとかはるじょおん、猫じゃらし、ひっつき草といった雑草がなつかしくてたまらない。 やぶからし、たけにぐさなどの大きな雑草も、いつも遊んでたすぐ近くの公園の裏に広がる藪に生えてて、たけにぐさ…

明日は雛祭なので、

急いで、死んだ祖母にもらったお雛様を出した。 今週金曜は、母がいよいよ退院だが、新しい場所で馴染めるだろうか。 母はぼける寸前、「最近、死んだおばあちゃんがそばにいる気がする」と言ってたから、 死んだ祖母(母の母)が好きだったらっきょうでも食べ…

昨日は『源氏物語』の担当の方が『源氏物語』が完結したお祝いをしてくれた。

ゲラを見てくださった石田百合子先生と三人で。 石田先生は75だが、頭脳もカラダもお元気で、こんなふうな感じなら年取るのもいいなと本気で思わせてくれる。 でも私は酒を飲む体力に欠けてるから、きっと無理だろうが。 石田先生の亡くなった御夫君石田穣二…

眠ろうとすると、拘束具で手を固定されていた母の姿が目に浮かぶ。

上海もニューヨークもあんなにすたすた歩いていたのに。 今はベッドに固定されている。 なのにそんな自分の状況もよく分かってなくて、 「きょうはパパと間違って江ノ島へ行っちゃったの。ご飯食べようとして」 などと言っていた。もしも私が女優なら、この…

城ヶ崎

「私が治ったら」 と、母方祖母が八十代後半以降、よく言っていた。 祖母はリウマチで、晩年、歩けなくなっていたのだが、 「いつか治ったら」 と思っていたのだ。身内は、母も叔父も私も、 「老衰もあるんだし。治りはしないよ」と思っていた。 現に治らぬ…

ここのところ久しぶりに体調が悪くて、寝込んでいた。

体調は上向きになったけれど、気分が下向き。 たとえ生きていても思い出されないのでは死んだも同じ。 私は最近死んでる気がする。 WEB日本語、きょう更新のはず(第30回泣く男)。 今月は山口崇の柳生十兵衛についてもちょっと書いてしまった。 http://www.we…

みんなで氷川丸を見てきた。

母方祖父(と言っても1946年に死んでいるから私は会ったことがない)が日本郵船につとめていた関係で、母や祖母はその昔、上海やニューヨークで暮らしていた。 上海は母の兄が船の上で生まれそうになったというから1929年に行って、廬溝橋事件が起きたか起きそ…

平安中期の一里は今の一里よりずっと短いし。

★今日か明日あたり発売の、円地文子訳『源氏物語』第四巻の解説を書きました。 三巻の解説は山本淳子さん。『紫式部集論』を書いた山本さんらしく、紫式部の人生と光源氏を重ね、「『源氏物語』の中で、紫式部は光源氏を自分と同じ目に遭わせている」、紫式…

猫婆さん、鳥じいさんに加えて、魚じいさんまで発見して、感に堪えない私だが。

お年寄りはなぜこうした行為に走りがちなんだろう。 先日は、猫への餌やりを大家さん(七十代)にとがめられて刺殺した六十代男性というのも新聞沙汰になっていたが、 子供の世話、家族の世話をしなくなって済んで、でも誰かの世話をしたくて、生き甲斐を得た…

私がでている。田辺聖子さんと俵万智さんと一緒に。

スヌーピーを抱く田辺さんがかわいい。死んだ祖母が田辺聖子の大ファンだった影響で、私もずいぶんカモカのおっちゃん漬けになったものだ。『源氏物語』関係の田辺さんのご本は未読だが、二十年ほど前、失恋した頃、『枕草子』に着想を得た田辺さんの小説に…

は、うまい。切ない。これでガスパッチョが完璧に頭にインプットされた。インプットされても仕方ないが。

http://jp.youtube.com/watch?v=cigapNQyA80&feature=related東京ガスは、母方曽祖父、つまり母方祖母の父親が勤めていた会社だ。 曽祖父は香川徳三郎といって、叔父によれば今の東工大(祖母は今の慶応大と言っていたが、母も叔父も技師なんだから慶應という…

きょう大学時代の同級生の講演をききにhttp://www.waseda.jp/open/index/news/20071201_koukai_umi.html

早稲田に行ったついでに、新宿の太宗寺に行ってきた。ここは以前の日記にも書いた通り、死んだ母方祖母が明治薬専時代、東北出身の小出さん(旧姓不明)という女性と下宿してた寺。昔は、学生は寺に寄宿することはよくあったそうだ。 小出さんは医者と結婚して…

こないだ実家に行ったら、私の自慢の祖母が薬学校(明治薬専=今の明治薬科大学)時代に覚えた「分析ラッパ節」の祖母自筆の便せんが四枚出て来たので、もらってきた。「故女子薬学校長 恩田重信作」と祖母の字で書いてある。九番まであって、四枚目は元素表。ネットで調べても、「分析ラッパ節」は出てこなかった。明治生まれの理科系女子大生の勉強法が分かって貴重な記録だと私は思う(祖母の話によると、当時、祖母が行っていた明治薬専には女子は祖母を含めて学校全体に二人だけしかいなかったそうだ。祖母は美術学校にいきたかったそうだが、

(写真は祖母筆「分析ラッパ節」) うちのおばあちゃんは私のドリンク剤みたいなもんだなぁ。元気付けの。実際、おばあちゃんのことを思うと元気が出てくるんだから、面白いなぁ。もう十一年前に死んだのに。

 戦前、祖母(例によって私の心のより所だった祖母。この人の話となるとつい自慢げになるのだが、逆に言うとこの人の話が出てくる時は決まって心身が弱っている時なので、大目に見てね)は夫の仕事の関係で長いこと上海に住んでいた。ニューヨークは綺麗でなんでもある(七十年前は)と大好きだった祖母も、上海は汚いと嫌っていた、

しかし母やその姉は、子供だったせいか、何とも感じていなかったらしく、ただ料理のうまいことだけが記憶にあって、横浜に住んでいた頃は、中華街でいつも北京ダックや中国野菜の缶詰めを買っては、 「中華の人は良心的。ほら、羊頭狗肉っていうげと、これじ…

 書きたい事はたくさんあるのに、何も書けない時がある。

愚かでない人はそれをわざわざ「書けない」などとは言わない。雀さんや秋田さんのような人はそうだろう。ただじっとしているだけである。 けれども私は「書けない」と言ってしまう。書きたいことは山ほどあって、書いてもあとから見ればゴミの山だったりもす…

★仕事で書くので、カナリアが日本に来たのはいつなのか調べていた。最近、清少納言が好きでたまらない。彼女は『枕草子』で、哀しいことは決して書くまいという決意をして書いたのだ。日記に書かれていた当時、女主人の定子はどん底の状態だったのに。執筆時は定子も死んでいたはずなのに。

時が経てば、私もこの日記からあまり哀しいところは削ろうと思う。けれどもまだ時が来ていないので、こないだとても哀しいことがあった時、書いた日記をまた載せてみよう。 カナリアじやないが、ここのところ、歌う気分が失せている。 死んだ祖母はいつも台…

 「よりぬきサザエさん」という本が、昔、祖母の家にありました。

子供心に「よりぬき」って何? 相撲のワザか何かだろうか?と疑問を覚えつつ、読んでいました。 それが膨大な「サザエさん」の漫画のなかから、これは!という(たぶん作者の長谷川町子がそう思ったのでしょう)漫画を選りすぐった漫画集であったと知ったのは、小…