猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

城ヶ崎


「私が治ったら」
と、母方祖母が八十代後半以降、よく言っていた。
祖母はリウマチで、晩年、歩けなくなっていたのだが、
「いつか治ったら」
と思っていたのだ。身内は、母も叔父も私も、
「老衰もあるんだし。治りはしないよ」と思っていた。
現に治らぬまま、最後は寝たきりになって、九十四で死んだ。



六年前、七十一で脳出血に倒れた母は、初めは「車椅子」と言われたが、懸命のリハビリで歩けるようになった。
が、脳をやられたせいで数字がダメになり、五年前は鬱症状が現れ、精神科に入院もした。
退院後も今日がいつということが分からなくなり、今年の七月末、歯を三本抜いてから、ぼけが急速に進み、夜間に眠らない、ほとんど食べない、汚物を触る、娘や息子が死んだ等おかしなことを言う、などの症状がいっぺんに現れ、9/30には入院となった。
10/1、見舞いに行ったが、ますますおかしかった。
最後まで痴呆症状はほとんどなかった祖母と違って、母は、
「私が治ったら」などと言うことはない。
さっき「食べない」と言ったら、今「食べる」と言ってる。瞬間瞬間で生きてるから、未来は思い描けないのだろう。
明日10/3も見舞いに行く。
治らないまでも、昨日よりはましになっていてくれているといいのだけれど。