母見舞い。
娘がもうじきまたエストニアに行くので。
我々が歌をうたったら、なにかぼそぼそ分からない英語の歌をうたっていた。
何を言っているか皆目分からず。
ホームの部屋には、亡き祖母のニューヨーク時代の写真が飾られていた。なぜか祖母の写真だけで、母の昔の写真はなかった。
母の心の支えはニューヨークで過ごした日々だったが、とくに母の亡き母のことが母の支えなのだろうと、父なりに考えてそれを選んで持って来たのだろうか。
写真は1938年か1939年のニューヨーク、6、7歳の母。
左上 伯母、祖母、祖父、小さいのが母。伯父。外人女性はアルマという名の祖父の秘書。母以外、全員故人。とくに祖父は1946年、民間から通訳としてかり出されたボルネオでマラリアにかかり死去。
左上真ん中の右は祖母
下左 母
下右 母ら
振り返るとそこに輝いていた、と信じることのできる過去がある。
そう思えるだけで、母は幸せなのだと思いたい。
母の見舞いに行くと、なにかどーんと心身にくる。寝たきりで私のこともよく分からずアウアウ言ってる母を見るのが悲しい。
あんなに聡明で頼みになった母だったのに、
まじ、生きるって何なんだろうという気持ちになってくる。
今の母のようにはなりたくない。母も今のようにはなりたくなかったろう。だからといって、どうしようもない。母も幸せだったんだと思うか、あるいは50年後には私も母も大半の人は死んでる、大差ないと思うか。
娘が、スマホに入れたビートルズ、母の大好きだったビートルズを聴かせたら、「hey jude」のところで、ちょっと私は泣きそうになって、母に「いい曲だよね」と言うと、うなづいていた。
私のことも私の名も娘のことも分からなくなっていても。