母がニューヨークにいたころ、ベティ・プープのアニメが大人気だったそうで、
日本人の母はベティさんに似てるというので、あだ名もベティでした。
後年、母は英語を忘れないよう、ウイードさん、アグネス・ハーカーさんといったアメリカ人についたり、グレッグ英会話スクールに通ったりしていました。
そこでのあだ名というか、通り名も「ベティさん」で、母の仲間が家に来ると、母のことをベティさんと呼ぶのが、子供心に可笑しかったです。
母は、自宅で英会話教室を開きながら、センチュリー英会話スクールなどで講師もしていました。
母がニューヨークにいたのはわずか三年ていどですが、五歳から七歳という、言語を覚える上で大事な時期にいたせいか、発音はネイティブでした。
母はベティさんを自分と同一視していたので、母に何かプレゼントする時はベティさんのものを選んでいました。
下のupが母(たしかにベティさんに似てるかも)。
下右、母、伯母ら。
上左、伯母、祖母、母、伯父。
上中央、祖母とアメリカ人女性(たぶんアルマと呼ばれる、祖父の秘書的な人。アルマは戦後、未亡人となった祖母に、アメリカの物資を送ったり、色々良くしてくれたらしい)
上右、祖母。