6/26付けの「中日新聞」の「心のしおり」にエッセイ書いて、掲載紙がきょう送られてきて、自分のエッセイ読み返すと、私は子ども時代から分かっていたのだなぁと思う。
だって、1960年代から漫画と古典に入れ込んでいたんだよ。
それもこれも、私が生まれた時から、母や伯母たちが、自分らの父親存命中の1930年代の二ユーヨーク暮らしを理想化して「アメリカは良かった」とばかり言っていたからだ(これ今思うと、凄い虐待だよね。つきあってる女に「元彼女との日々は良かった〜」って言ってるみたいな感じで、今の私との暮らしを母や伯母は否定してるニュアンスあるわけだから。ほんと「今がいちばん幸せ」っていうのが口癖の祖母を私が好きな理由も今にして分かるよ)。それに対抗すべく子ども時代の私は、今ここに生まれて良かったと思える何かを探した時、古典文学にいきついたんだよな……(当時はなんでこんなに「和」に引かれるのか、「和」がカッコイイと思ってたか意識してなかったけど、すべて今思うと)。
漫画は単に描くのが好きだったからだが……。
ほんと、子ども時代からひとりクールジャパン活動してたんだな、私。
日本の特徴はいろいろあるけど、やっぱ漫画と古典文学なんだよ、いいのは。
分かってらっしゃる、昔の私は……。
しかし、その代償として子どもの時代の私がどれだけ苦しんだかは、想像できる人は少ないと思う。
父の鬱憤は私にきてたし。
六十近くなった今でこそ、こうやって振り返る事ができるけど、つい四十代とかまでは無理だった。
本当に家にも学校にも居場所がなかったからね(小学生時代習ってた絵の教室はその点、救いだった)。
漫画や古典文学に依存するしかなかった。
高校生とか、働き始めて一人暮らししてから、くらいからだよな……生きるのもけっこう楽しいかも……という気持ちが心に湧いてきたのは。
んでも、一切皆苦ってことばがあることからすると、昔からみんなけっこうそうなのかもしれないね。多かれ少なかれ生きづらくない人なんていないのかも。居場所さえ見つけることができない人も多いのかも。