こないだ白楽行ったら、こんな写真がはってあった。30年前、最初の本が出た時、亡き祖母が横浜の有隣堂でもらったらしい。祖母の生前はしまってあったのを、捨てるのも……というんで、出して張ったようだ。いま見ると、「大型新人」みたいに書かれてて恥ずかしくも悲しい。
今は物置になっている古屋の壁に、ゴミにまみれて張ってあったのだった。
思えばこのころはなにも考えてなかった。
小さいころからマンガと古典が好きで、漫画家になりたいみたいな思いはあっても、文章を書くのは苦手だと思っていた。ただ、この失恋という未知の体験からくるさまざまな感情を残しておきたい一心で、書いた覚えがある。
だから、二作目は書けなかった。
ありがたいことに注文はきたものの、また恋愛もので……と言われても、書きたいことが何もなかった。
ただ一貫してのめりこんでいたのは古典文学だったので、書くなら古典の面白さを伝えるようなものだろうか、と思った。
『紫式部集』なんかで、紫式部が結婚前、男と歌をよみかわしていると、文庫の注なんかには「藤原宣孝を指す」みたいに書いてあって、何の根拠があるのか? 夫とは限らないのではないのか? など、いろんな疑問を感じていたし、自分なりに思うことが色々あったので、そういうことを書いていきたいと思った。
それが二作目の『愛は引き目かぎ鼻……平成の平安化』だった。
これ以降は「ほぼ」一貫して古典のことばかり書いている。