猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

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猫婆さん、鳥じいさんに加えて、魚じいさんまで発見して、感に堪えない私だが。

お年寄りはなぜこうした行為に走りがちなんだろう。
先日は、猫への餌やりを大家さん(七十代)にとがめられて刺殺した六十代男性というのも新聞沙汰になっていたが、
子供の世話、家族の世話をしなくなって済んで、でも誰かの世話をしたくて、生き甲斐を得たくて小動物への餌やりに走るのか。

しかし、利己的な遺伝子説とかによると、親が子供の世話をすれば、子孫を残せるというメリットがあるし、家族の世話もそれによって自分の生き残りが図れるというメリットがある。
が、飼ってもいない、身近な犬猫鳥の世話をしたところで、
「猫のエサやり、迷惑です」
などと張り紙をはられ、時には大家に注意されるなど、嫌な思いこそすれ、メリットはないように思える。
「誰かの世話をする」ことで得られる充実感はそうした嫌な思いを打ち消して余りあるほど、己が命を支える生き甲斐となるのだろうか。



あるいは、仏教の輪廻転生説は本当で、年寄りは人生の黄昏時になって、本能的に、犬猫鳥が未来の自分かもしれないと肌で感じて、餌やりに走るのだろうか。

そういえば死んだ母方祖母は犬猫にはあまり興味のない人で、それどころか、猫が庭にくると、水をかけたりしていたものだが、八十五を過ぎてからは、
「庭を横切る猫や、鳥を眺めるのが楽しくて」
などと言っていた。
退屈というのもあるんだろうが。
なんか、小さな命が愛しくなるってのはあったようだ。
しかしゴキブリや毛虫のことなどは死ぬまで嫌がっていたから、もしも仏教の輪廻転生説がほんとで、それゆえに生き物に優しくなったというなら、ゴキブリにも優しくなるだろうから、それはないのだろうが。


土本亜理子さんのお父様で、水俣病の映画を撮った土本監督が亡くなった。新聞で知った。
土本さんとは子供の小さい頃、同じマンションのよしみで、歯科心身症がひどい時は本当にお世話になった。
子供と昼時におしかけて、ほっけの開きをご馳走になったり、今思うとほんとに迷惑な近隣者だったと思う。
あの時のことは決して忘れない。
お父様にはご挨拶したことはないが、よく自転車に乗っている姿を見た。
土本さんの話によると、お父様は銭湯がお好きで、自転車で通っていたらしかった。
わたしが最終的にいきついた歯医者も、土本さんに教わったのだが、土本さんは通院したことはなくて、お父様が通院しててえらく気に入っているとのことで、教えて頂いたのだった。