体調は上向きになったけれど、気分が下向き。
たとえ生きていても思い出されないのでは死んだも同じ。
私は最近死んでる気がする。
WEB日本語、きょう更新のはず(第30回泣く男)。
今月は山口崇の柳生十兵衛についてもちょっと書いてしまった。
http://www.web-nihongo.com/column/yakusenai/index.html
崇仲間と勝手に私が思っているイラスト描き「ヲタ嫁りへ」さんがこんなことを。
天下御免、リアルタイムでやってた時は興味も無かったが、今もし見れるなら見てみたい。
署名運動の効果って「??」と思ってたけど、りへさんによれば、これにより実現化した企画もあるというから頼もしい。
復刊リクエストみたいなものか。
http://ishidarie.blog118.fc2.com/blog-entry-141.html
沢庵禅師の『結縄集』(『新釈澤庵和尚法語』所収)には、
“人の実は、啼と笑と也”
“作り笑ひする者はあれども、作り啼きは涙おちず”
“人の涙をながしていはむ事、偽なるべからず”
ってあるけど、こういう考え方が一方にあるから、平中みたいに、涙を武器にする男が出てくるんだわね。
『結縄集』には長谷川等伯のエピソードも出てきて、なんだかホクホク。
いつも食べてるチョコレートが森永のだとふと気づいて森永ヒ素ミルク事件というのがあったのを思い出した。
被害は1950年代からあったようだけれど、社会問題化したのは1960年代末から70年頃で、ちょうどその頃、森永製品の不買運動が起きて、生まれ育った白楽の駅の売店でも、森永の商品がごっそりなくなって、しかし売店の菓子はほとんど森永のものだったのか、菓子自体があらかたなくなって、選べるものといったら、なんかグリコのキャラメルくらいしかなかったことを思い出す。
なので、味は森永ミルクキャラメルのほうが好きだったのに、以来、グリコにせざるを得なくなったのだった。
その後、明治生まれの祖母は絶対に森永製品を買わなくなった。グリコはイメージが悪いと言って、雪印のキャラメルを好んでいたが……どれもその後はイメージが必ずしも良いとは言えないようなことになった気がする。
乳児ののむ粉ミルクに安価だからというだけで猛毒のヒ素を使ったため起きたこの事件で死んだ乳児130人以上、被害者は1万3000人以上というのだから、いま思うと凄まじい事件で、森永がまだ命脈を保っていて、そのチョコレートを私が食べたりしているというのにも改めて驚く。
その名も「ひかり協会」。
http://www.hikari-k.or.jp/